【好き嫌いをなくす】〜みんなそれぞれ生きている〜

【好き嫌いをなくす】〜みんなそれぞれ生きている〜

 

 

 

 

愛が足りないと、何事もうまくいかない

 

 

すこし前の話ですが、私はある動画チャンネルに登録していました。

 

 

あるとき「もうほとんど見ることもないから解約したい」と思って手続きをしていました。

 

 

しかし解約方法がなぜか複雑で、しかも重複請求されているようで納得がいかず、イライラしながら調べるのですがどうしても解約できません。結局、解約するのに、なんと1か月ちかくかかったのです。

 

 

このとき思ったのが、「なぜこんなにもスムーズにいかないのだろう?」と考えたのです。

 

好き嫌いをなくす

 

自分の本心を探ると、じつはこんな風に思っていました。

 

 

「あわよくば善人や無知な人からお金をかすめ取ろう、搾取しようとするこういう巧妙なやり方が大嫌いだ!カンタンに入会はできるのに入会したら最後、二度と出られないように縛り、自由を奪う策略、そういうやり方が大嫌いだ、絶対に認めたくないし、認めない、汚い、汚れている、最低だ、なんて不親切なんだろう!」・・と。

 

 

そんな気持ちが隠れていることに気づいたのです。

 

 

ですので正直なその気持ちを認め、そしてもう二度と寄り道せず、迷わず、まっすぐに弥栄のために突き進み、それ以外のものは全部捨てると心に決めました。

 

 

そうときふと、「この動画チャンネルを祝おう・・」と普通に思えたのです。
このチャンネルが、これからどこまでも栄え続けますように。といのりました。

 

 

みんながこのチャンネルから恩恵を受け、進化するなら月々お金を払ってもいいやと思いました。
どうせ、お金も何もかも「わたし個人」のものではなく、宇宙のものなのだから。と。

 

 

どういう風にお金がまわっても私個人がコントロールするものではない、天の采配だ、という感じです。

 

 

そう思ってから、つまりイライラや嫌いな気持ち(憎しみに近い)を認め、許して、なんとしても解約してやる!という強い思いを手放してから、なんとなくダメ元で手続きしたら、あっさりと1日で解約できました。

 

 

そのときのポイントは「解約できたから安心した」というより、実際解約できるまえに自分の気持ちが非常におだやかだったのです。

 

 

前は、そのチャンネルのことを考えるたびにキーっとなってアタマを抱えていたのですが、結果的におだやかな思いで愛せるようになったのです。

 

 

いま私はその動画チャンネルに対して過剰な好き嫌いはありませんが、相手が今後ずーっと栄えていきますように・・という愛の目線で見れるようになった、だからうまくつきあえるようになったのだなと思います。

 

 

 

縁を切るときに、相手を切り捨ててはいけない

 

切り捨ててはいけない、と思います。

 

 

縁を切ることは大切です。

 

 

いろいろな、もうあなたにとって必要のないものや人と、縁を切ることは必要です。

 

 

おたがいに必要でないならば、自然に離れるでしょう。しかし、どちらかの執着や損得などがからんでいると離れたくても離れられないことがあります。

 

 

どうしても離れられないのならば、なにか原因があるのかもしれません。まだ学ぶべき事柄があるのかもしれません。いずれにしても思い通りにいかないことがあります。

 

 

私はそんなときでも、できるだけ物理的な距離を置きつつ、同時にエネルギー的にも(イメージで)プチっと、はさみなどで切るようにしています。

 

 

相手とは見えないエネルギーで繋がっています。

 

 

ただ、そんなときも、【相手へのいつくしみを忘れてはならない】のです。

 

 

相手が憎たらしいから、縁を切るのではありません。

 

 

憎悪にみち、怨念に満ちていながら縁を切ろうとするのであれば、それはぜんぜん切れていません。むしろ、強い執着によってガッツリとつながってしまっています。それは良いものをもたらしません。

 

 

そうではなく、相手への祝福、つまり「縁は切るけれども、あなたはあなたで栄えていってくださいね」という思いで、感謝でさよならをし、その後ろすがたを見送り、繁栄をいのりたいのです。

 

 

次元は違っても、それぞれに存在するものでしょうし、あるいは光に戻ったら戻ったで、これまたおめでたいことです。

 

 

ですので、そういう意味では、すべてを好きになりたいと思います。

 

 

まちがっても、「お前なんかいらない!」と切り捨ててはいけない。

 

 

そこに愛はありません。

 

 

好き嫌いをなくす努力をしたい

 

よく食べ物でも「あれは嫌い、これもキライ」と好き嫌いの多いひとがいます。

 

 

「嫌いなものは嫌いなのだからしょうがないでしょ?」と言われるかもしれません。

 

 

私も特に子供のころは、食べものや人にたいして、好き嫌いがありました。

 

 

ただ思うのは、どうも食べ物や人の好き嫌いがはげしい人は、それだけ人間の幅も狭いような気がするのです。

 

 

たかが食べ物で・・、と言われるかもしれません。

 

 

しかしそこには、どうしても対象を受け入れるちからや包容力が小さい気がします。

 

 

嫌いなモノを好きになる努力をしよう、自分の幅を広げようという気持ちがないと思うのです。

 

 

べつにだから悪いというわけではないのですが・・。

 

 

しかし、食べ物にかぎらずいろいろなもの、人や仕事などに対しても、縁を切るのは必要だけど、相手にたいして「嫌いだから!」と切り捨てるのは愛ではないと思うのです。

 

 

相手は相手で自分とおなじように、意味や意義があり存在しています。

 

 

別々に生きていくのはいいけれど、相手やほかに対しての祝福を忘れたくないものです。

 

 

歩む道は違っても、すべての人やものがそれぞれに栄えあれ!といのる気持ちを大事にしたいですね。

 

なにかしらご縁があって来たのですから、縁を切るときは一方的に「嫌いだからえいっ!」とやるのではなく、愛をもって別れるのが礼儀かもしれません。

 

 

そして、大型犬のように広い大きな心でいることは、とてもおだやかで、とても安心できるものです。

 

好き嫌いをなくす

 

 

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