【プライドを捨てたい】本物のプライドに変える方法
前書き
私はこの記事を書くまで、自分にはプライドなんてもうほとんどないと思っていました。
というのは、今まで自身のプライドを打ち砕くような出来事にたくさん出会ってきたからです。
人としても、女としてもあり得ないような恥をかいてきて、その度ごとに私のプライドは壊れていきました。
よかったのです。
恥をかかされてきたのではなく、私が自分の高いプライドを壊すために、自ら起こしてきたことだからです。
こんなに壊れてボロボロになったのだから、もうプライドはほぼないと思っていました。
しかし、よくよく自分を見てみるとまだあったのです。
今、見つけられてよかったと思います。
「ああ、だから苦しかったんだ。」
と、いろいろな場面での自分の不出来や不自由さから起こる苦しみの原因が見えてきたからです。
苦しみの原因=プライドでした。
高いプライドのおかげで苦しかったのだと分かりました。
ここでは、プライドとは何か、そしてその壊し方について自分の例を出しながら書いていきたいと思います。
プライドとは何か
本物のプライドとのプライド
プライドを辞書で調べてみると、2種類の意味があるようです。
1、誇り、自尊心、自信、尊厳、気高さ、気品・・(本物のプライド)
2、優越感、エリート意識、おごり、うぬぼれ、高慢、慢心、思い上がり・・(偽のプライド)
1のように表されるプライドは、自分を認めて愛し、自身に尊厳をもち、堂々と自信をもって生きていくために誰もが持ちたいものです。
一方、2のような意識は、生きていく上ではむしろ邪魔になります。必要のないものです。
私たちは本物のプライドを持てないとき、その代わりとしてニセモノを身にまとおうとします。
ですので、もし本物のプライドを持つことができれば、わざわざニセモノをまとう必要はないのです。
ですのでニセモノのプライドは壊しつつ、本物のプライドを自分の中に育てていけたら、私たちは苦しむことはなくなります。
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プライドの奥にあるのは劣等感
さて、プライドにも人や立場によっていろいろあります。
・男として、女としてのプライド
・親として、兄、姉としてのプライド
・主婦や仕事人としてのプライド
・上司・先輩としてのプライド
・先生や師匠としてのプライド
・日本人としてのプライド
・お金持ちとしてのプライド
・容姿の良さや頭の良さ、すぐれた才能などを持っていることへのプライド・・など
子どものころ私は、姉としてのプライドが強く、2歳下の妹に母を取られることに対してものすごい嫉妬をしました。
妹は可愛くて控えめで優しく、母によく似ていていましたので、可愛がられるのも当然だったと思います。
もちろん母は私のことも可愛がってくれましたが、私は小さなころから父にちやほやされて育ったのもあり、うぬぼれやで生意気で、人を見下すところがありましたので、うまく友達もつくれませんでした。
嫉妬心から妹をいじめる自分を止められず、結果的にどんどん孤独になり、そんな自分が嫌いでたまりませんでした。
そのころの私は、自分に対しての強い嫌悪感と劣等感、そして罪悪感でいっぱいでした。
(過去の私の例)
*妹をいじめる→罪悪感→自分はダメだ(劣等感)→それをごまかそうと強がる(偽のプライド)
ニセモノのプライドというのは、劣等感(自信がもてないこと)の裏返しです。
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【人よりも秀でたいこと】へのこだわり
他にも私は、女としてのプライド、母親としてのプライドがあることに気が付きました。
あと意外だったのは、以下のようなものもありました。
私はミスチルの大ファンだったのですが、実はCDなどをほぼ買ったことがなく、コンサートにも行きたいと思ったことがありませんでした。
理由は、【大勢の中のひとり】になりたくなかったのです。
自分はいちファンなんかではない、ほかの人と一緒にしないで、自分は特別と思っていたのです。
なんなら桜井さんと結婚する!くらいにわりと本気で思っていたのですから自分でも笑えます。
コンサートにいくと、自分は大勢のなかのひとりなのだと実感させられます。
だから行きたくなかった、自分が大勢のひとの中に埋もれたくなかったのです。
こういった、自分こそは特別という思い、これがプライドではないでしょうか?
共通するのは、
・人よりも特別な自分でいたい
・自分の価値を高く感じたい(何者かでいたい)
こういった願望です。
自分の理想像、たとえば、美しくてきれいな自分とか、かしこくて出来る自分とか、人気者の自分・・など
「人よりも一歩も二歩も秀でた自分」へのこだわり=プライドです。
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人よりも秀でたいのは、やはり自信がないから
なぜ、人よりも一歩も二歩も秀でないといけないかと考えると、やはり自分に自信がないからです。
ニセモノでもいいから埋め合わせようとします。
本当に自信があれば、わざわざ強がる必要はありません。アピールする必要はありません。
自分に自信がある、自分を愛している、認めている、褒めることができる、肯定できる。
もしそうであれば、わざわざ「すごいでしょ?」とアピールしなくても、人に褒めてもらわなくても、充分に事足りるはずです。
自分を認められないから褒められないから、せめて人には認められ褒めてもらわなければいけないのです。
だからウソでもスゴそうに自分をお高く見せなければならない。
人からスゴイと思いつづけてもらうために、【理想的な自分像】を崩すことができない。
塗り固めた嘘を保ち続けなければいけない。
窮屈です・・。苦しいです。
ニセモノだと自分が一番よく分かっていますから・・。
・・・こう考えると、自分を愛するということがどれだけ大事か・・としみじみ感じます。
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自信を持つためには過去の自分を肯定する・ゆるす
プライド=劣等感の裏返しと書きましたが
劣等感の裏側には、傷があります。
失敗した傷、完全完璧でなかった傷、どこか欠けた(ように感じる)自分に対する傷、不出来で不十分だった(ように感じる)自分に対する傷。
そこに自信をもてない。
そういう過去の自分をどうしても肯定できない。
でも私たちは、それをただ体験しただけなのです。
【体験してみただけ】です。
本当の私たちは完全完璧。神意識ですから。
真逆の体験とはどんなものか、それを自我というシステムを通して、感情を体験したかったのです。
そんな冒険をしてみただけです。
であれば、そこを裁くことなく【もう充分!今度はほかの体験をしよう】と決意して、新しい体験に進みましょう!
なにも否定する必要はないのです。
過去を否定するとそこは滞り、ドロドロとそこに傷ついたまま停滞したままです。
しかし肯定して認めると、スーッと流れていきます。
そして次の体験がやってくるのです。
ですので、過去の失敗した【不出来】と思える自分の行動・言動すべてを許してあげてください。
あなたにとって一番たいせつなことは、過去を反省し自分を裁くことではありません。
たった今、ここで幸せになることです。
そのために大切なのは、自分を許すことです。
プライドの壊し方
あえて人に負ける、すすんで頭をさげる
自分のプライドを壊すために、どこかへ出かけて人と接し、かっこ悪い自分をさらけだし自分の理想イメージをジワジワと壊していくことも一つの方法です。
人に負けることになれる、はずかしい思いをする、人に頭をさげる(感謝や謝罪)など
ここで大事なのは、自分から飛び込むことです。
いきなり、向こうから不意打ちでやってきたものだと、心構えができていないのでダメージも大きいです。
しかし自分から、「自分の殻を破ろう!変わろう」と思って飛び込んでいくならば、スポーツ感覚で取り組めるでしょう。
自我が壊れるときは、少々痛みは伴いますが、効果はあります。
しかし自分を縛り付けるそのみえない鎖の外に一旦でると、そこはもうフリーで広い世界です。
過去の自慢は封印
過去の自慢は封印してください。
あなたが生きているのは今です。
過去の栄光に頼らず、今現在のあなたで勝負するのです。
今というのは誰にとっても、生まれたてのあたらしい瞬間なので、プライドが介入する余地はありません。
過去のことについて人に聞かれても、ぺらペらと自慢げに話すより、「昔のことだよ」とサラッと流せるほうがカッコいい気がしませんか?
自分を愛すること
ただ自分を認めてあげることです。
あなたはもう充分傷つきました。
これ以上自分に傷をつけるのではなく、ただ愛してあげればよいのです。
本当に自分に優しく心をゆるませて、ゆるしてあげることができたらプライドは自然に消えます。
高いプライドはもう必要なくなるからです。
いきなりそんなこと無理だと思われるなら、まずは自分の良いところ・自分のできたところを、ひとつふたつと数えてみてください。
夜、布団に入るときでもいいですね、リラックスして、目を閉じて数えてみてください。
きっと何個か数えているうちに、心が温かくなってきます。
そして、私はそのままでいいんだと思えるようになります。
余計なプライドをまとう必要はもうなくなります。