「ひとりでいたい」その思いは人生を突き抜けられる

「ひとりでいたい」その思いは人生を突き抜けられる

 

孤独には【つらい孤独】と、【有意義な孤独】があります。

 

 

ほんとうは友達がほしいけど、コミュニケーションがうまくできずにつらい思いをしている。
また人が恐かったり、交流が不安で誰ともつきあいたくない。

 

 

これは【つらい孤独】です。

 

 

この記事では以下のような
・友達をつくろうと思えばつくれるのだけど、自分のことに忙しくてなんとなく疎遠になる
・また、なにか自分のことに取り組みたいからひとりでいることを選択したい

 

 

そんな【有意義な孤独】について書いてみます。

 

 

 

 

お手てつないでランランラン

 

私たちは幼少のころから、たくさんの友達をつくりましょう、みんなと仲良くしましょう・・と教えられてきました。

 

 

「1年生になった〜ら
 1年生になった〜ら
 友達100人できるかな?」

 

 

この歌で言われているように、ひとりでいることは良しとされていません。友達ゼロで、一人でいることはどこかいけないと否定されてきました。友達が多いことはすばらしいことだと教育されているのです。

 

 

家族ではサザエさんのように、まぁるいちゃぶ台で「みんなでなかよく一家団らん」という風潮でした。

 

一家 

 

もちろんそれは結構なのですが、サザエさんは昭和のお話であり、いまはいろいろな家族のかたちがありますし、あえてひとり身を選択する人も多いです。

 

 

会社でも、はみ出ると変人扱いされます。会議会議となにかと集まりソファーにひっくり返って談笑。定時後も飲み会でグチや雑談。私が事務ではたらいていた時も、お昼はかならず誰かとランチ、あるいはひとつの場所に決まったひとがあつまるのが常でした。

 

 

ほかにもたとえば「お祭りはみんなでワイワイ参加するのがあたりまえ」といった雰囲気もおなじですね。

 

 

おおぜいで楽しめないひとは「変わったひと」扱いされます。そしてわりと強制的に参加させられたりします。とくに古いしきたりの残る地元でのお祭りはなにかと強制的だそうです・・。

 

 

しかしお祭りは本来神聖なものであり、まつりごとです。神に感謝し、未来永劫の弥栄をいのり、祝う場です。

 

 

祝儀を仕方なしに包んだり、カタチばかりの退屈なお坊さんの話を聞かされたり、酔いつぶれてどんちゃん騒ぎをする場ではないと思います。陽気に祝うことはよいのですが、どうも現在のお祭りは本来の目的から遠ざかっている気がしてなりません。

 

 

すこし話が逸れましたが、とくに日本人は、みんなと同じ行動をし、ひとつにまとまらなければいけないといった同調圧力のなかで育ってきています。

 

 

この圧力は非常に強いプレッシャー、過剰なストレスになります。同調しなければ仲間はずれにされる、みんなと同じ意見でなければ変な目でみられる・・だから自分を殺してみんなにあわせなければいけないストレスです。

 

 

群れていると自分を見失う

 

いつも大勢と一緒にいることが多いと、よほどの精神の持ち主でないかぎり自分を見失いがちです。自分を保てなくなります。

 

 

よい悪いではなく、不特定多数の雑多な波動に影響されます。つまり雑音がたくさん入る。ゴチャゴチャになるのです。

 

 

ゴチャゴチャ

 

 

結果、自分の本心にフォーカスできません。

 

 

自分がなにを求めているのか、いちばん自分にとって何がたいせつなのか?

 

 

それに集中できないから、自分がなくなる。自分がぼやける。だから自信がなくなる。

 

 

自分を信じるのではなく、その他おおぜいの価値観をなんとなく盲目的に信じるようになる。これは恐いことです。

 

 

(学校の集団生活は、そうなるように【意図的に】教育しています。みんなで一緒に、みんなと一緒をよしとしている。善としています。幼稚園から高校まで一貫して集団行動を徹底的に叩きこんでいます。「個性を尊重しましょう」などと口ではいいながら、実際は個性をつぶしているのが現状です。)

 

 

独りでいても充実できるひとは、他人といても真に充実できます。実りがあるのです。

 

 

しかし孤独に耐えられないひとは、他人といても本当には満たされません。満たされているように思えても、実は充実していなかったりする・・。興奮してアドレナリンが上昇するので満たされているとカン違いしてしまうのです。

 

 

ですので、ときにふと寂しくなったり、どこかしら空虚感を感じていたりします。

 

 

厳しい言い方ですが、自分の内面の弱さや傷を見たくないがために、他人と過ごすことでごまかしているのです。

 

 

しかしそんな表面的なつながりの他人が、いざというときに助けてくれるかどうかはわかりません。

 

 

誰かといると、自分の内面の弱さを見なくてすむから楽といえば楽です。心の闇に向き合う時間がなくなるからです。直視しなくて済むからです。

 

 

他人と群れていると、人によってはお山の大将になることもできます。

 

 

自分には価値があると思える。しかしそれは見せかけの自信であり、本物の自信ではないから、あやうく儚いのです。

 

 

 

覚醒が進んでいくとだんだんと友達がいなくなる

 

私の場合は子どもが幼稚園だったころ、ママ友の「数」を競うようにいつも友達と過ごしていました。幼少のころ友達がゼロだった反動もあったからでしょうか、当時は友達がいないと生きていけないような状態でした。

 

 

そのときは、ほんとうに友達が欲しかったですし、一緒にすごすことも楽しかったです。もし今、あなたが友達を求められるなら思いっきり友達つきあいをされるのがよいと思います。

 

 

ただ、自分の内面に向き合いつづけ、覚醒がすすむにつれ、だんだんと友達の数は減っていくことと思います。家族ともわりと疎遠になったり、距離ができることがあるかもしれません。

 

 

つまり、不特定多数の他人とすごす時間が減っていき、ほんとうに分かりあえる人だけとの付き合いになるでしょう。

 

親密 ケシの花

 

これは悪いことではありません。むしろあなたがあなたにとって本当にたいせつなひと、こと、ものに絞ることができたという喜ばしいことです。

 

 

今までは、さみしさゆえにとにかく他人と一緒でないと耐えられなかったのが、自分の内面が満たされ充実してくるので、必要以上に他人と群れる必要がなくなるのです。

 

 

そして、内面が向上し自分のことだけでなく全体のことを考えられるようになると、自分が全体そのものになっていくので、他人との境界線がなくなり、孤立感がなくなっていきます。ひとりで居ても、そんなにさみしさを感じません。

 

 

とくに「全体が栄えるように」といのりをしているときなどは、心が非常に満たされ「もう、これだけ(いのりだけ)でいい」と思えるほどです。

 

 

孤独(一人の時間)は、強く生きるために必須

 

一人旅、自立

 

孤独は、

 

 

・自分に向き合える
・人生のテーマを見つける
・優れたアイデア、ひらめきを得られる
・自分をたいせつにし、愛するため
・自分を知るため
・よりよい仕事(志事)をするため
・人と健全につきあうため
・心身を健全にたもつ

 

 

・・などなど、あげればキリがないほどなくてはならないものです。

 

 

つながるべきはヨコ(人間関係)よりも、まずはタテ(神関係)

 

 

天地とつながったうえで、ヨコにひろげていくとうまく行きます。天と地からのパワー・叡智といったみちびきを抜きにして、ヨコの交友関係だけをひろげていっても、自分が定まらずゴチャゴチャになり収拾がつかなくなります。

 

 

ですので可能なら、いったん人間関係を整理してあなたにとって本当にたいせつなひとだけとちゃんと繋がりなおすとよいかと思います。

 

 

 

 

・多数に追随すれば必ず自分を見失う。
 孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
 安藤忠雄(日本の建築家)

 

・孤独は優れた精神の持ち主の運命である。
 ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)

 

・君が独りの時、本当に独りの時、誰もができなかったことをなしとげるんだ。
 だからしっかりしろ。
 ジョン・レノン(イギリスのミュージシャン)  

 

・最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
 トーマス・エジソン(米国の発明家・起業家)

 

・一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。
 エーリッヒ・フロム(ドイツの社会心理学者)

 

 

 

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