人の役に立てなくても・・

人の役に立てなくても・・

 

世の中や仕事、家族や友人の役に立てない、そんな自分・・でもいいのです。

 

あなたがたとえ、今自分は人や社会の役に立てていないと思っていても、それで大丈夫です。

 

むしろその気持ちが心の底から出てきてくれたことは、おめでたく、よろこばしいことなのです。

 

というのは、実際今のあなたがそう思っているのではないからです。

 

実は過去にそう思っていたときがあって、その気持ちにフタをしてきた中身(感情)が今、ある出来事をきっかけにして出てきてくれただけだからです。

 

その感情はあなたにちゃんと見つめてもらうために、その出来事を起こしました。

 

そうでもしないと、私たちは隠れている感情に気づかないからです。

 

 

今のあなたはその気持ちをちゃんと受け止めてあげられるほどに、器が大きくなったのです。

 

だから魂の奥のほうから
「今のご主人(あなた)なら祝ってくれるかな?」

 

そう思って浮かびあがってきたのです。

 

その感情(波動)は、今度こそあなたに祝ってほしくて出てきています。

 

かわいい慈しむべき感情です。

 

 

 

出てきた感情を祝ってあげる

 

宇宙は本来、発展繁栄・よろこびといったワクワクと栄え続ける気だけなのですが、ある時から私たちは変質した波動を創り出していきました。

 

それは、大きな大きな冒険、でもあまり喜ばしくない体験でした。
もうそろそろ本気で終止符を打たなければなりません。

 

これが今の時代です。

 

「役に立てない」という変質した波動を創ったのはあなた(私たち)ですから、責任をもって受け入れてあげてください。
逆らう必要はないし、せっかく再度出てきてくれたのに無視するのは愛からほど遠い行為です。

 

自分で創ったものは、自分で決着をつけなければいけないからです。

 

ではどうするかというとただ、その波動を祝ってあげるだけです。
「よく出てきたね、あなたの存在そのものを祝うよ、おめでとう!」と祝福を送るのです。

 

ひとりになって、できれば声にだしてちゃんと言ってあげてください。

 

その波動(気持ち)に良いも悪いもまったくありません。
食べ物で辛い・甘い・酸っぱい・苦いなどが、どれも良い悪いではないように。

 

私たちはその違いによって、それぞれの異なった体験ができるだけです。
冒険です。

 

好き・嫌いも人間の自我です。

 

愛はすべてを分け隔てなく、平等に愛するものです。
片方だけをひいきしたり、偏った見かたはありません。
(愛があなたです。)

 

ですので、あなたの中から浮上した「役にたてない、自分はダメ」という概念も良い悪いはありません。

 

他の波動と同じように、等しく受け容れて祝ってあげてください。

 

 

 

人には前世から引き継いだ自我のこだわりがある

 

ここでひとつの例をだしますと・・

 

ある時代にスピリチュアル魔術師がいました。

 

その人はみんなのためにと頑張っていたつもりですが、意識が天と繋がっておらず、やり方が自己流でした。

 

誰かを癒したり、助けるといっても天地の自然な力によってではなく【個人の念力で無理やり】という感じです。

 

その人は「自分がみんなを助けてあげるんだ!」という意識だったのです。

 

 

その人には一人のお弟子さんがいて、のちにその弟子の方が活躍して自分は落ちぶれてしまいました。
お弟子さんは自我があまり強くない「自分は有名にならなくても目立たなくてもよい」という人でした。

 

 

その人は【自分が】人々を結局助けられなかったというおごり高ぶり、人の役に立てなかったという無力感と悲しみ、そして弟子への激しい嫉妬・・。

 

そんな自我によって世間から見捨てられ、貧しくなり、その人は完全に天や地・人との繋がりをみずから断ち切ってしまいました・・。

 

みずから孤独を選び、一生を終えました。

 

その後・・今回生まれるときに誓いました。

 

「今回こそは、個人的な自分を超えて(手放して)全体でありつづけ、全体繁栄のために貢献する。そのために天に繋がりつづける」と。

 

そのときに、プライドの邪魔になるような、人からスゴイと言ってもらえるような【術】を、すべて手放しました。

 

 

 

・・以上は私の前世なのですが、幼少からずっとそのときの傷が残っていたので、人に迷惑をかけたり、負担をかけたり、重荷になる自分も許せませんでした。

 

高いプライドだったと思います。

 

だいぶキツかったですが、だいたい浄化できたと思います。

 

こういうブログを読まれるかたは、そういった「人のチカラになれなかった自分への無力感・悲しみ」という傷があるかたがほとんどだと思います。

 

 

 

「人の役に立ちたい」は自己証明?

 

私の例ですが・・

 

自分は人の役に立ちたい。
でも他の人は人の役に立てない人がいても別にいいと思っていました。

 

なぜなら私がその人たちを「助けたかった」からです。
人を助けることができるスゴイ自分・・だと、人に思われたい、認められたい。

 

自我の自己証明のためですね。

 

人より上に立つことで、人よりも秀でている自分でありたい。

 

こういう思いは必ず過去(前世)の体験の傷から来ています。

 

どこかの教団の上に立っている人とか、あるいはボランティア活動をしている人の中にはそういった「自我の自己証明」意識が隠されていることがあります。(もちろん全部ではありません)

 

役に立ちたい、立たなきゃ・・と思えば思うほど、なぜか役に立てないものです。
なぜならそれが、自分を認めて欲しいという自我から来ているものであれば、それは純粋な気持ちではないからです。

 

自分の自己証明のため・自己アピールのための「役に立ちたい」は、本当ではありません。

 

 

 

 

「自分が特別であるために人の役に立ちたい」を手放す

 

みんなが同じ、全体の分け御魂(わけみたま)です。

 

だったらそんなに苦しい思いをして、自分は特別であろう!と我張(がんば)らなくても
まわりのひとと調和しながら肩の力を抜いて、生きたっていい・・。

 

今を生かせてもらっていることを、ありがたいなと味わっているだけでいい。

 

特に無理して人の上に立とうとか、特別であろうとしなくても・・。

 

 

そんなになにかに追い立てられなくても。
努力しなきゃ!向上しないとダメ!だと思わなくても・・。

 

もっと心から遊んだり休んだりを、楽しんでみてください。
その許可をおろしてください。

 

あなたは、何かを与えられることに罪悪感を感じていませんか?
与えられたとき、心から素直に受け取れているでしょうか。

 

 

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努力すること、向上することしか許していないと、生きることが苦しいです。

 

皮肉なことに、役に立たなきゃと意気込めば意気込むほど、それは妙に空回りして、結局何をも成しえない役にたたない人になってしまう。
これは辛いことです。

 

でも逆にこういった考えを握ってない人ほど、人への圧力感なく淡々と実行し続けることができるのでその人は重宝されます。

 

誰にも負担をかけず、自分もそんな考えを握っていないから、息抜きも上手だし、でもやるべきことはしっかりやって、なんとなくその人がいないと、まわらなくなる。

 

結果的に役に立ちます。なくてはならない存在になります。

 

自分は役にたたない人間、だから役に立てるように頑張ろう。は役に立てません。
だって、最初から自分は役に立たない人間だと決定していますから。

 

子どもはそんなことは思いません。
自分が役に立たない存在だとは思っていません。

 

だからいつも自然体ですが、子どもというのはなくてなならない存在ではないでしょうか?

 

 

 

「自分が」を手放す

 

人の役に立たなきゃ、その考え方・価値観・概念を手放してみませんか?
そして、人の役に立てなくてもいい。その考えを受け入れてみてください。

 

 

ご飯食べて寝るだけでもいいではないですか。
そんな人でも、そんな動物でも、いのちの価値に高いとか低いはありません。

 

そんな人は、過去世でものすごい貢献をして、いまは人にお世話になってみる、という役回りをしているだけかもしれません。

 

自我(人間)と自我(人間)を比べて、偉いとか偉くないとかどうでもいいのです。
人と人を比べることは、所詮、どんぐりの背比べ以外の何ものでもありません。

 

全ての人格を取っ払ったとき、光り輝く魂だけは残ります。

 

それは、誰のものでも優劣は一切ない、純粋な光そのものです。

 

そこに戻りたい。
それだけでありたいのです。

 

そうすると、光はすべてでありすべては光ですから、あなたは宇宙のすべての光と一体・統合されます。

 

天・地・人と繋がりひとつになると、すべてのパワーが自分のものになります。

 

(自分のもの、というより、すべてが自分ですべてのパワーが自分だったのだと分かります。)

 

 

【私が】を手放すと、個人だけの限定的なエネルギーではない、個人のスケールをはるかに超えた圧倒的なエネルギーで全体貢献できる、役に立てる、という結果になります。

 

 

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