食事

肉食は間違っているのか?

 

あなたは、お肉は食べますか?それとも、ベジタリアンですか?

 

私は19歳の時牧場で働いていたとき、可愛がっていた牛たちが売りに出されるとき、連れていかれまい必死に抵抗し涙を流す牛たちを見てから、ずっと長い間、肉や魚もはじめ動物性のものがほとんど食べられなくなりました。

 

穀物や野菜、豆類があるのだから、肉は人間の食べ物ではないと信じ、肉食そのものを否定していました。
肉食だけでなく添加物や白砂糖も避け、無農薬・有機・オーガニック信仰でした。(いわゆるほぼビーガンでした。)

 

もちろん食べ物だけでなく革製品などもできるだけ身に着けず麻製品や綿中心、ナイロン製もできるだけ避けるなど
生活のあらゆる面において自然のものに囲まれるようにしました。

 

確かに、人間というのは本来なら植物性のものを食べるのが性に合っているのかもしれません。
私も人間の食べ物について日月神事をはじめあらゆる書物を研究しましたが、なるほど納得させられるものばかりです。

 

にもかかわらず、今は自分から好き好んで積極的に肉などを食べることこそありませんが、そういったものを【否定】することもなくなりました。

 

なぜかというと私はあるとき、何かを【否定】するというエネルギーが、その場やその人を著しくエネルギー的に損なってしまうということに気づいたからです。
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あるときこんなことがありました。
何年か前、当時の友人が私の家に遠方から泊まりにきました。その友人もとてもオーガニックなどにこだわる人でした。

 

私ももちろんそうだったのですが、友人の方が私より徹底していました。
彼女は宿泊のため、生活のありとあらゆるものを車に積んできました。

 

完全無農薬有機食材・エコな鍋・浄水器・シャワーヘッド・無農薬ヘンプのシーツなどなど。
私よりはるかに知識のある彼女を前に、私ははじめ「すごいなあ」とある意味尊敬していました。

 

でもそれが何度も積み重なるうちに、だんだんとなんだか変だと思うようになりました。

 

彼女が来てくれ色々学べるのはいいけれど、私が心をこめて出したオーガニックでないものは使われず、水も浄水器に通され、
新調した布団にも無農薬ヘンプのカバーを掛けられる・・・。

 

当時わたしはお金がなかったので、高級なオーガニックのものは買いたくても買えなかったのです。
その方が体にいいとは知ってはいるけれど、食べていくのに精いっぱいでそんなことは言っていられない。

 

でも誠意はこめて出してはみても、その友人の子どもに「それは遺伝子組み換えだから」などと言われ、結局私たち親子だけで食べる・・・。

 

しばらくしてから思いました。「うちの水が飲めないのか~!」と。「じゃあ来るな~」と。(笑)

 

もちろん、それを受け入れていた自分の責任です。彼女はとても大切なことを気づかせてくれたわけで、彼女が悪いわけではありません。自分の世界を創っているのは自分です。ゆえに私が彼女にそうさせることで、私自身が自分に対して気づきを促したのですから。

 

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あなたにもそんな経験はありますか?
相手を思って差し出したものが、「無添加かどうか」とか「肉が混じっているかどうか」などで拒否されたとしたら・・・。

 

なんだか残念な気持ちになりませんか?
少なくとも私は嬉しくはありませんでした。

 

確かに人のからだにとって、相性のいいもの、そうでないものは存在すると思います。

 

しかし天からいただいている人のからだはそんなに「やわ」ではありません。
どんな相性の悪いものでも、その人の生命力や信じる物事によって、そのものの働きを変化させることができます。

 

これは体に悪いから自分の体をむしばむと思えば、思った通りそのように変化しますし
インスタントラーメンやコンビニ弁当を食べてもありがたい、美味しい!と作った人やその製品に感謝して食べるならそれは滋養になり、働きが波動レベルで変化するからです。
(プラシーボ効果と同じことです。)

 

ひとの体を生かしているのは、命の流れ(光、生命のチカラ)であり、特定のモノではありません。
その証拠に、不食で生きているひともいれば、火渡りの修行をするお坊さんもいます。

 

あなたもご存じのとおり、何かを特定のものを食べたからと言って全員が同じ結果になるわけではありません。
これは体質で片づけられるものではなく、その人のものの捉え方次第でかわることであり、さらにそれによって体質は作られ固定されていきます。

 

たいせつなのは、相手やモノに対してより栄えるようにと祈る気持ちであり、たとえそれがどんなものであろうと、カタチはどうあれ相手やモノに伝わり変化させます。

 

ただし、私は何かにこだわるひとが間違っていると言っているわけでは決してありません。
肉食でもビーガンでも、私はどっちでもいいと思っています。

 

こだわるのは自由だしいいけれど、ビーガンを主張し(あるいは肉食を推奨し)、それを人に押し付けたり広めようとする人の心理のポイントは「自分は正しい」ということです。
つまり「相手は間違っている」と主張しているのと同じことです。

 

これが戦争のはじまりです。人との戦い・人との争いです。

 

みんな自分の真実があります。
みんなそれぞれの経験や知識があり、その人にとってはそれが真実なのです。

 

自分は自分の信じる道を堂々と歩めばよいだけで、人にそれを押し付けられる必要もなければ、押し付ける必要もありません。

 

何かを否定するというのは、著しく本人と相手、そしてその場(時空間)すべてのエネルギーを損ないます。

 

なぜなら宇宙には本来、否定というエネルギーはないからです。
宇宙は、すべてを許し、愛し受け入れ、そのものをより生育させようとする働きそのものです。

 

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こんな風に考えてみてください。

 

大いなる宇宙の流れがあって、その河のながれは、肯定や許し、敬意や慈しみなどの愛(天意)が流れています。
その流れに沿っていれば何とも誰ともぶつからず、スイスイとらくらく流れていけます。

 

ですがそこに【否定】という人工物を挿入すると、宇宙の流れとは逆方向になります。
あるいはその大いなる流れに、否定という「杭」を打つことになるのです。

 

ゆえに、その杭は周りと衝突したり、ぶつかられたりして痛い思いをすることになります。
しかもそこにとどまることになるので、スイスイと楽々の流れに乗れないのです。

 

よって苦しむばかりで繁栄できずそこから動くことができなくなって、どんなに個人的な努力を重ねてもいっこうに現状が変わらなくなってしまうのです。

 

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否定だけではなく不安や恐れ、怠惰や嫉妬、憎しみなどもそうです。本来宇宙にはなかったものです。
私たち人間があとから人工的に作り出したものです。私たちはみな太古の昔において宇宙のながれに逆らったのです。
そしてここまでやって来ました。

 

ではどうすればいいかというと
気持ちよくないエネルギーは全部本来の宇宙のものではないので、(それを排除しようとするのではなく)手放し祝福するのです。

 

私たちはみな自分の世界の創造主ですが、その創造主である自分が、宇宙の大河の流れに自我という杭をうったのです。
反抗してみたのです。逆らってみたのです。
ですから自分でつくったのだから、自分で解体してあげるしかないのです。

 

「おつかれさま、今までありがとう、大変だったね、今まであなたのおかげでいろんな経験をしたけどもう天に(光に)還ってね。
そしてあたらしく栄えてね。」
そうして光に戻してあげるのです。

 

自我たちも本当はみんな、しんどいので光に還りたがっています。楽になりたいのです。ぶつかるのはもう疲れたと言っています。
でも作ったのはあなたなので、あなたが解体してあげるしかないのです。

 

自我はあなたに振り向いてほしくて、そして自身があなたによって祝福されるのを待っています。
そして、生まれ変わったツブツブの新しい光として、あらたな創造物をつくる素(元)になるのです。

 

すべてのものは光でできています。光が結実して現実世界をつくり、またそれが光に還り、また新しいものが創られる。
その繰り返しのなかにおいて、自我や否定のエネルギーは強く固まってしまって滞ってしまっています。

 

どんなエネルギーも否定せず、否定してしまうこと自体も否定しない。
何かをダメと言った時点で、その否定したものはより自己主張し、意地になってそこに居座りつづけます。

 

自分のなかの辛い感情、不自然な思いすべてを、手放してみてください。そして祝ってあげてください。
「よく働いてくれたね、ありがとう。おつかれさま。もう楽になってね。祝福あれ!」と。

 

難しくはありません。
あなたが、もうこの思いはつらいから手放そう。そう決心し、決めるだけです。
イメージで手に乗せて、フッと息を吹きかけるように、感謝してやさしく天に還してあげてください。

 

決めることから全てが動きます。

 

なぜならあなたは、あなたの世界の創造主ですから。

 

 

 

 

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