生と死
今回のコロナウィルスをきっかけに、生死にかかわるさまざまな感情(恐怖や不安や疑いなど)や考え方(対策の賛否両論など)が世間に浮上し混乱しています。
これから書かせていただくことは、今の世間の常識からは一番外れたことでしょう。
信じたくないという方はそのお気持ちをどうか否定しないでください。
あなたの考えは何も間違っていません。
すべての人の考え方に間違いも正しいもありません。みなさんそれぞれの紛れもない真実であり等しく価値あるものです。
そしてそのすべてが祝われるべきものです。
そのうえで、一つの選択としての私の考えを書きたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【体は無限】
この言葉を聞かれて、あなたはなんと反応されるでしょう?
もしかして不謹慎だ!と反論され、ここで読むのをやめられるかもしれませんね。
あるいは、ちょっとぶっとんだ自分とは違う人。と思われるかもしれません。
それは当然だと思います。
今までみんなが死を迎えてきたわけですし(実は日本にも300年以上生きた方が祀られている神社があったりするのですが)生まれたら皆死ぬというのは今の世間の常識であります。
しかし私はそれでも逆のことを言いたいと思います。
生命体は本来なら永遠に生きられる、そしてこれからは不老不死の時代だと。
というか、そもそも私たちは生まれてもおらず、よって死ぬこともない、人間個体ではない永遠不滅の空間存在なのだと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(宇宙の成り立ちについてはだいぶ省略させていただきますが)
・・もともとまだ何も動きがなく、ただあらゆるすべてを生み出せる可能性を内包した虚空(こくう、空っぽ)から、物理次元としての宇宙が生まれました。命が生まれました。
イノチ(意ノ血)は【意識】と【からだ】で成りたっています。
【意識】は「生命として生んでもらった。さあ、これから生きるぞ!素晴らしい体験をたくさんしよう!喜びを無限に知っていくぞ!」
という、積極的で活力ある創造意識(意思してモノゴトを創り出す意識)です。
ですが、【意識】だけではこの世を体感できません。
【からだ(ご神体)】があってはじめて、この物理次元を味わうことができます。
目で見たり、肌で感じたり、音を聞いたり・・を「味わう」ことができます。
からだはその為に与えられており、生命がこの世を生きるためになくてはならないパートナーです。
ですので、いのちは2つで一体です。
意識(男性性・陽・プラス・能動性)と体(女性性・陰・マイナス・受容性)が合体して生まれたものです。
いのちの上では意識は夫であり、からだは妻ということになります。
人間の性別が男性の体・女性の体どちらであっても、【意識は男性性=陽】であり【からだは女性性=陰】です。
【意識】である私たちは、【からだ】をリードする役割があり、どのように生きようとからだは〈主人〉である意識を信じてついてきてくれます。意思したとおり(命令したとおり)に体は動いてくれます。
(本気で死のうと思えば、何らかの手を下すことなく意思だけで自らの心臓の動きを止めることも、実際できます。)
なぜなら意思こそが全てを動かす最強の原動力だからです。
からだは今までずっと主人である私たちに逆らうことなく、あたたかい母性としてどんなことも聞き従ってきてくれました。
まさに偉大なグレートマザーです。
私たちはそれをいいことに妙な勘違いし、今まで散々わがままな仕打ちをからだに対して下してきました。
主人という立場にあぐらをかいて、感謝もせず好き放題・暴れ放題だったのです。
まさに愚かな暴君でした。
歴史をたどれば男尊女卑の時代は長いと思いますが、男性が女性よりも【優位】であるとし虐げてきた現実は、こういった私たち自らが自らに対して行ってきた目に見えない事実の象徴として表れています。
しかし近年は女性が力を取り戻しはじめ、逆に男性は草食男子などと言われるように、すべての人の【意識】自体がいのちの真実に気が付きはじめ謙虚になり、【からだ】は本来の力を取りもどす(つまり永遠性を取り戻す)現れとして、こういった流れの現実が表にでてきています。
~その2に続きます~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生と死(その2)
よく、体は死んでも魂は永遠に生き続ける・・などとよく言います。
人は意識(夫)とからだ(妻)の結婚(結魂)で成り立っており、どちらもなくてはならないものであり優劣はありませんが、あくまでも私たちの立ち位置としては創造する立場=意識です。すべてを創り出す側(主人)です。
しかし意識は主人であるがゆえパートナーであるからだはもういらないと捨てることさえできるのです。
そして自分だけ生き残って、あたらしい体に乗り換えたいから次お願いしまーす。今度こそは真実を忘れずからだを愛し、仲良くします(男性性と女性性の統合をします)から、という具合で転生を繰り返してきました。
体を殺してきたのはほかでもない、意識(私たち自身)です。
からだは死んでも魂(意識)はずっと生きられる・・?
意識は無限なのに、なぜからだは有限?
こんな身勝手な話があるでしょうか。しかし私たちは誰一人例外なく、からだを「使い捨て」にしてきたのです。
生まれる前は決心してきたはずなのに、生まれてからすっかり真実を忘却し、一般常識に染められいのちの無駄遣いをしてきました。
しかし、こんなわがままを許してくれてきたからだは純粋でとてつもなく偉大です。
だからからだの方が意識よりもある意味ずっとかしこいのです。愛(天の意思)を生きているのです。
私たちはそんなグレートマザーであるからだに釣り合うよう、意識を拡大し真実に目覚めなければなりません。
いい加減目を覚ませということになります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ、死ぬこと老いることを疑わず、当たり前と決めるのでしょうか?
世間の常識だから?生物的に「それはもともと決まっている当たり前のこと」だからでしょうか?
でも不老不死(常若永生)を疑うなら、逆に老いて死ぬことを疑ってみるのもひとつの選択です。
マイナス(死の恐怖や悲しみ)だけを信じ、プラス(生きる喜びや希望)を信じないのは、バランスが悪いかもしれません。。
そもそも私たちは、この世もあの世も知らないことだらけです。
宇宙についても分からないことだらけです。
しかし分からないからと言って、とりあえず生まれてからずっと世間で言われてきた当たり前の常識を素直に信じ、疑うこともなく自分で改めて考えないのは思考停止ということになります。
ほとんどの方が老いること死ぬことを疑いません。そして恐怖におびえます。
これは集団催眠・集団固定観念であり、常識という見えないグリッド(地球に張り巡らされている網目)の支配下にいるからです。
この網目の下にとらわれてしまうと、そこから出ない限り別のあたらしい真実には出会えません。
生き続けるって死ぬよりもずっと嬉しく希望的なはずなのに、なぜ否定するのでしょうか?
希望的なことを信じても誰にも迷惑はかからないと思うのですが・・。
「私もお前もいずれ老いて死ぬよ・・、この世には事故も病気もあるからね・・」よりも、シンプルに「私もあなたもずっと元気で生きれるよ。」の方が良くないですか?
否定する理由はいろいろあると思います。
・老いたまま(あるいはこの外見のまま)生き続けたくない。
・親しい人と別れてまで一人だけ生きたくない。
・無限に生きるなんて疲れる、適当なところで死にたい。などなど
それは、人生というものには苦しみが必ずあるものだと信じているからです。
そんなのは疲れるから適当なところで死にたくなるのです。
そして、親しい人は死んでいくのに自分だけが生き残るのは誰でも嫌ですが、みんなとずっと生きられるならどうでしょうか?
そして老いなければ、生きたくないですか?
からだはこれから変わっていきます。ミューテーション(突然変異)を起こすことができます。
私は科学者ではないので論理的な説明はできませんが、俯瞰した立場から言わせてもらうと、ウィルスや遺伝子などは突然変異を起こすのに、細胞の寄せ集めであり同じ生命体である私たちのからだに、常識を逸脱した突然変異が今後絶対に起こらないと言い切れるでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、さまざまな常識が疑われています。そしてひっくり返されています。
ひと昔前の常識は今の非常識です。
コペルニクスの地動説を擁護し、宇宙も時間も有限ではなく無限だと主張したジョルダーノ・ブルーノは、火あぶりの刑にされました。
しかし今は、太陽のまわりを地球がまわっているのはだれもが認める常識であり、宇宙に果てはなく拡大し続けていると言っても認める人の方が多いと思います。
地球の人間にとって最後の砦は、死の問題だと思います。
人類が一番、恐れているものです。
しかし今まで様々な常識がひっくり返ってきたように、今後はこの最大の恐れ【死】の概念がひっくり返るでしょう。
・・・神はどこか遠くで白いひげを生やして杖をもったお爺さんなどではなく、誰の中にも内在しているものです。
あなた自身が創造主であり、すべてを創り出す力がすでに備わっています。
あなた自身に創造するチカラがあるのですから、カンタンに体を老いさせたり死なせる必要はない。
これは、じゃあアンチエイジングをしようという話ではありません。
その常識とやらを、カンタンに採用してはいけない・・ことはないですが、「採用しなくてもいい自由」があなたにはあるのです。
何を採用しても自由なのです。あなたはあなたの世界の創造主ですから。
これからは、それぞれの世界をそれぞれが創る、完全にパラレルな時代になります。
そしてその選択した世界に良い・悪いや正しい・間違いは一切ありません。
虚空はすべてを許し、認め、愛していますから。
(個人的には、未来永劫この体で不老不死、ではなく何百年か何千年かはわかりませんがある程度生きたら別のカタチとして生きるのではないかと思っています。しかし少なくとも、90や100歳でいのちが終わるという今の常識を私は信じません。)