勝負

勝ち負けにこだわるのはバカなことなのか?

このブログに読んで下さる読者さんの中には、勝負ごとに興味がない、あるいは苦手・嫌いな人もいらっしゃるのではないでしょうか。
派手な勝負や結果にこだわり、勝ち組・負け組などと騒ぐ世間と距離をおきたいと思ってらっしゃる方も多いと思います。

 

実は私もそうでした。
ただ最近はこの苦しい思いをほぼ手放すことができました。

 

もしあなたが、勝負嫌いから抜け出したいと少しでも思われていたら、今日の記事はあなたにとって少しは役にたてるかもしれません。
(7分ほどで読めます。)

 

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勝負嫌い、それはあなたの過去の経験(前世)に原因があります。
覚えてはいないかもしれませんが、なにかそれにまつわる経験の中で、やったりやられたり(どちらも)して痛い思いをしているのです。

 

つまりそこに思い出したくない傷があるのですね。
だからキライだとかいって感情的に反応してしまうのです。そこを避けようとしてしまう。

 

もし赤ちゃんのように真っ白なゼロなら、どんなものでも抵抗なく受け取れます。
興味がないというのも(無意識ですが)そういうフリをして、そこと関わらないようにする自己防衛のひとつでもあります。

 

それほどあなたは傷ついたのです。
もちろん私自身も過去世でそういう体験を散々して痛い目にあって疲れ果てました。(身内とやっています。)

 

だからといって、じゃあオリンピックなどのアスリートの人はそういう傷がないのかというと、そういうことでもないです。
アスリートは生まれながらに、今度こそは勝とうとしていたり、その傷を克服して自分自身に勝とうとしている人もいるでしょう。

 

みんなもれなく長い長い歴史の中で、いろんな役柄を通して、殺ったり殺られたりしています。
もし思い出したら、精神が壊れそうなことも、したりされたりしています。

 

 

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オリンピックや勝負ごとをべつに好きにならないといけないわけではもちろんありません。
それは個人の自由です。

 

ただやっぱり、自分自身が何かを嫌いだ!と避けるよりも、
認めて受け入れてあげられたら・・自分が楽になります。

 

それにもしそれができるようになったら、今よりももっと可能性が広がって、人生がひらけて拡大して、今よりももっと楽しくなると思うのです。

 

出来ないより、出来たほうがやっぱり、きっとおもしろいです。
何かをキライ!よりも、スキまではいかなくても暖かく見守ってあげられたら、なんか自分がほっと安心できると思うのです。

 

あなたはとても優しく人の気持ちが分かる人です。
だから、勝負すると勝った人はいいかもしれないけど、その陰には負けて苦しむ人がいる。
その気持ちがすごく分かるから、どちらの立場にたつのも嫌なのではないでしょうか。

 

私は、子どもの時からじゃんけんをはじめ勝負事すべてに興味がなく、とくに球技は一番きらいなものでした。
丸いカタチのものを蹴ったり投げたりすることが私は嫌だったのです。
(ただし体を動かすこと自体は大好きなのでいちいち勝敗を付けないならスポーツは積極的にします。)

 

丸(球体)は私にとって調和を表す完全なカタチで、地球も太陽も球体であり「円満」とか「丸く収める」とか言うように
まるいものを蹴ったり投げたりすることは平和をぶち壊すのと同義なような気がして傷ついたのです。

 

しかも、それで勝った負けたと勝敗が決まることがさらに嫌でした。
勝っても負けてもどうでもいい、そもそも興味がない。

 

だからオリンピックなども、世の中からなくなったらいいのにと思うほどでした。
お金かけて国どうしが争って、自分の国だけ応援してこれじゃ戦争と変わらないじゃないか。と。

 

正直これは苦しいです。少なくとも幸せな気持ちは1つも湧いてきません。

 

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そこで、私は無理やり好きになろうとするのではなく、そこから「出て」みました。
席を外してピョーンとそこから上に飛び出して、上からちょっと俯瞰してみて、見下ろす感じです。
超越する感じです。

 

そして、そこから勝負をしているみんなを、「みんながんばれー」と応援してあげるのです。
なんせ、しょせんゲームですから。

 

つまり、
あなたはどっぷりと、ズブズブとそこに入り込まなければいいんです。
どっちの側についても一喜一憂して辛いのなら、そこから飛び出して、参加せずに、上からみんなを平等にえこひいきなく応援してあげればいいんです。

 

そしたら、一気に楽になります。

 

あなたは文字通り、超越したんです。
神の目線に立ったということです。

 

誰にも、個人の肩をもつ必要はそもそもないのです。
でももちろん持ちたかったら持ってもいいんです。

 

私ももし、自分の子どもがオリンピックにでたら、夢中になって自分の子どもばかり見ているでしょう。
可愛いですから。自分のこどもですから。

 

そういう一個人としての自我もちゃんとみとめてあげることもその自我に対する愛です。

 

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勝ち負けの結果にこだわると、とても辛いです。勝った時はいい、でも負けたらどん底。
その達成感や優越感と敗北感を行ったり来たりするのは、なんだか寿命が縮まりそうです。

 

そして、皮肉なことに勝とうとすると「本当には」勝てないのです。
一時的には、引き寄せの法則などで勝てるかもしれません。念力で半ば無理やり引き寄せているからです。

 

そういうことは実際に出来ることがありますし、いままで人類はたくさんしてきました。
でも例えば試合で勝っても勝っても不安な人というのは、つまりこの地位をいつか誰かに奪われてしまうかもしれない、と負けて恐怖におびえている人は、その人がまだ真の勝者ではないから、だから不安なのです。

 

魂には分かるのです。
本当の勝利というのはなにかというのが。

 

ほんとうに勝つというのは、そういうことではないんです。

 

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ここで、また矛盾したことを言うようですが、
それでも勝つという事は、やはり大事なのです。

 

「勝ち負けなんてどうでもいい」のか「勝ち負けにこだわった方がいいのか」
どっち?と言われそうですが・・。

 

こたえはどちらもイエスです。

 

さきほど少し触れましたが、その勝ち負けのフィールドから、「抜ける」のです。俯瞰して眺めてみるのです。
(そのためにはまずは「勝ち負けなんてどうでもいい」と思ってみた方がいいかもしれません。)

 

勝ちにこだわる自分をまず捨てる。
どうしたら捨てられるかというと、勝ちたい気持ちをちゃんと祝福してあげるのです。
勝ちたい気持ちは、あなた自身ではないのです。
勝ちたい気持ちは「生き残りたい、生きたい!」という自我なのです。あなたとは別個のものなのです。

 

もちろん逆に、勝ち負けが嫌いな人はその気持ちを祝福してあげるのです。
勝負して、命を失う、傷つく、その恐怖から自分や他人を守ろうとしているんです。
「自分も相手も傷つけたくない、無事に安全でいたい」という命を生きたいという叫びです。

 

だからそれらの気持ちを決して押さえつけるのではなくて、
「大丈夫だよ、何をしてもしなくても、あなたは栄えていけるんだよ。」と安心させてあげるのです。

 

そうすると、あなたの立ち位置はそれらより上ですから、上から見ているから分かるのです。
勝つ方法も分かるし、どうすれば楽になれるかも全部分かる。

 

勝負現場のフィールドにいる限り、揉まれて揉まれてぶつかりぶつかられて、興奮して感情はぐちゃぐちゃになるし、混乱するから、冷静な判断もできないです。

 

人間を超えないと人間には勝てないのです。

 

神業と言われることをする人たちは、その瞬間、ここを超えているからそういうパフォーマンスができて、結果的に勝てるのだと思います。

 

球技などでも真剣にぶつかり合いながら、結果勝っても負けても本当にさわやかな、健全な、いい勝負ができるのです。

 

ゲームというのは本来そうやってお互いを高めあういいツールであって、殺し合い傷つけあいをするものではないです。

 

 

どんなものにでも、捉え方によっていい面わるい面があります。
どこに焦点を当てるかで、気持ちがぜんぜん変わります。

 

昔の私は勝負ごとや球技に対して、嫌な面しか見ていませんでした。
だけど、それを捨てる、というか、越えて、いい意味での「上から目線」になることができました。

 

だからとても、楽になりました。

 

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自分自身が敗者や勝者になるのではなく
勝つこと自体、負けること自体、どちらも祝う。

 

みんなそれぞれを祝ってあげる、そうすると、あなたのまわりに敵はいなくなります。
無敵ということです。

 

それが本当の意味での勝者であり、金の王冠をかぶる存在です。

 

不思議なことに、そうすると(いい意味での)勝ち組になれるのです。
勝ち組というか、セレブになれるのです。
(ちなみに、セレブとはセレブリティ=祝福されるひと、という意味です。
お高くとまって人を蹴落とし偉そうにしている人はなんちゃってセレブであり、残念ながら落ちるのは時間の問題です。)

 

 

全てを祝福するから、その祝福が自分にも還ってくるのです。

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