許し

何かを許せず辛い思いをしている方へ

 

あなたは誰か許せない人はいますか?
それは家族や他人ですか?それとも自分自身でしょうか?

 

人だけでなく、物事や出来事なども許せないことって色々ありますね。

 

絶対に許せない人やものごとがあると、時にとてもしんどくなります。
そちらに意識を奪われて、仕事や家事も手につかなかったりします。

 

そんな辛いところから出られたら、気分も爽快でハレバレすることでしょう。
何か許したい対象があるけれどどうしても許せない、そしてそんな自分を無意識にでも責めてしまい苦しんでおられるあなたに向けて
今日は書いてみたいと思います。

 

(8分ほどで読めると思いますが、長く感じたら分けて読んでみてください。)

 

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許せない理由は、あなたがご自分の「これが正しい」と信じているものから外れた人や事を出会ったとき
「それは違う、認められない。」となるのではないでしょうか?

 

正義感の強くまじめな人ほど「これは正しい、あれは間違っている」という判断の数が多いので許せない対象がたくさんあり、苦しい思いをしがちです。
逆に「まあいっか」と、深くこだわらず流せる人は、許せないものは少ないでしょう。

 

私たちは生まれてから今まで、親や先生などの大人からからたくさんの価値観や観念を植え付けられてきました。
これはこうで、あれはこう、そういう風に決まっていて、故にそれは正しいのだと。
そこから外れると叱られたり否定されて、罪をおかしたような気分にさせられてきました。

 

しかしものごとに対する考え方、観念は世界で統一されておらず、国や地域や家庭・人によって実にさまざまです。
さらに、同じ国でも時代を経ると変わり、同じ人でも時間がたつと変わります。

 

人を殺してそれが正義だという時代もありましたし、外国にいくと信じられないような価値観に出会ったりもします。
一歩外に出ると自分の常識は通用しません。

 

観念とは、元々とても流動的で移ろいやすいものです。
目に見える実態はなく、正しいという証拠もありません。

 

無人島で独り暮らしならいいですが、社会にでたらみんな考え方や価値観は違うので、これでは人とぶつかるのは当然です。
ぶつかりあうのは仕方がないというか、むしろ当然の成り行きです。

 

ですから同じような価値観の人同士が自然と集まります。
もちろんそれで良いのです。

 

しかし俯瞰してみると、世の中に正しい・間違いはありません。
みんな自分の信じる正義があり、それが正しいと信じて生きています。

 

人は人、自分は自分と認められるなら、楽になります。
しかし、相手が家族などの近い人や身近な出来事になると、なかなか簡単には認められず許容できません。

 

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赤ちゃんのときは真っ白でしたが、大人になり固定観念に固まると、そこから動けなくなります。

 

絶対にそれが正しいのだと信じれば信じるほど、永久にそれと反する人と分かりあえません。
これは苦しいことです。自分は全然苦しくなんかないよと思っていても、魂は鉄のくさりで縛られたようにがんじがらめなのです。

 

そしてそれは、見たくないからと言ってその対象と距離をおいたとしても、また似たような人を必ず引き寄せます。

 

なぜかというと、その人自身が魂のレベルで「本当はそれをもう、許したい、認めたい」と願っているからです。

 

魂は大きくなりたいのです。枠から解放され成長したいのです。
ここに固く縮まったまま、とまっているのは窮屈でしんどいのです。

 

例えば、AさんはBさんを絶対に許せない、と思っているとします。
Aさんは「俺はBを絶対に許してやらない」と上から目線で裁いているつもりです。

 

Aさんはともすると、自分はBよりも賢く偉いと思っています。あいつは人間として間違っていて最低で低俗だと思っています。
でも実際のところは、Aさんのキャパが小さいから許せないのです。Bさんのやっていること=情報を処理できないという事になります。大きかったら何でも受け入れられます。

 

もちろん、だからといってAさんが悪いというわけではありません。

 

Aさんは大きな誤解をしているだけなのです。
それは何かというと、Aさんは自分はこの体であり、考え方であり、信念である。この思考・感情こそが自分自身なのだと誤解しています。

 

真実は違います。
Aさんは、じつは人間ではありません。からだでもありません。

 

人間の○○さんという役柄を演じる、純粋な目にみえない意識です。人間のフリをして毎日演じているだけです。
さきほど、Aさんのキャパが小さいからと書きましたが、正確に言うと小さい自分を演じているのです。

 

なのに、その小さな人間Aさん=それはただの役柄なのに、役柄を自分自身だと勘違いしているのです。

 

そして、Aさんが自分自身だと思っている思考も感情も、Aさんではありません。
完全に別物です。

 

じゃあなにかというと、もう一度書きますが自由な純粋な意識なのです。
もっと言えば、虚空(目に見えないすべての作り手、元、素)です。

 

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あなたは元々そんなちっぽけな、一個人の小さな存在ではありません。
あなたは○○さんという人間ではないのです。

 

あなたは、この世でこの体とともに、新しいさまざまな体験を謳歌するために、いのちを授かりました。
体がなかったら、風を肌に感じたり、おいしいものを味わったり、美しいものをみることはできません。

 

この世に初めて誕生したとき、あなたは
「命としてこの世に誕生することができたぞ!これからたくさんの喜びを体験して、みんなで栄えていくぞ!」
と感謝と感動とともに、意気揚々と生きるぞ!と喜びと元気いっぱいでした。(これが元の気です。)

 

しかし、生まれてすぐに「名前」を付けられ、生活を営んでいくために、お父さん役、妻役、娘役、サラリーマン役、長男役などを担当していくうちに、自分は(○○さんという)その名前の人でこの体や考え方、価値観こそが自分自身だと勘違いしていくようになりました。

 

名前というのは、もともと自由で制限のない無限の可能性を秘めているエネルギー(私たち)にわざわざ、区分けするようにぎゅっと縛り付けるようにつけられているものですから、縛りであります。

 

そういった意味で本来なら名前などいらないんじゃないかと私は時々思いますが、そうなると不便ですし、一応便宜上付けられているだけです。

 

(しかし、名前の文字ひとつひとつにはそれぞれエネルギーが宿っていますから、その名前をつけられた人は自然にそのような性質のエネルギーを現すような人生や性格などを体現していく傾向があります。名は体を表すということになります。)

 

(話が逸れましたが)お伝えしたいことは、あなたは、もともと固定された限定的な一個人などという小さな人間ではなく、大いなる存在だということです。

 

自分が一個人だと信じてしまっていると、できることは限られてしまいます。
どうしても有限になってしまい、無限ではありません。

 

あなたは自分には○○なんてできない、などと思っていませんか?
自分をちっぽけな存在だと勘違いして、自分にできるのはせいぜいこの程度だと決めてかかっていませんか?

 

あなたは何度も生まれ変わり、今まで数限りない経験を重ねてきました。
しかしこの今こそ、思い出してください。

 

自分は「個人」ではなかった、と。
個人を出て、(イメージで上の方に)ズームアウトして視野を広げて上から見てみてください。

 

俯瞰してみてみると、人やものごとが小さく見え、たいていのことは許せます。自分も含めてみんな可愛いなと慈しむことができます。
あなたが意識を拡大したからです。これが本来のあなた(神)の目線です。

 

 

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この目線に立ってはじめて、本来の自分自身を揺らぐことなく信じることができます。
そのとき、ようやく本物の自信が取り戻せ、何ものにも揺らがなくなります。

 

あなたは動揺する側ではなく、動揺している感情(や思考)を観察する側です。
許す許さないと小競り合いに参加する側ではなく、それを上から観察する側です。

 

許せないのは自分に自信がないからです。
自分を低く見積もっているからです。
そんな自分が認められず(それはそうです、あなたは神ですから)、人も(自分の投影なので)愛せません。

 

本物の自信は、神の目線に立ち返り、取り「戻す」ものです。
ちいさな人間意識のまま、○○だから私は自信があります、といくら条件付きの自信をつけ足したところで、それはひとたびその条件が変更されたら途端に効力を失ってしまう、儚いものです。
根拠があるとそれは本物の自信ではありません。

 

根拠のない本物の自信は、神の立ち位置に立ったときに、はじめて無条件で取り戻せるものです。
直感的で、無条件で根拠がない自信こそが本物です。
よって一番最強で、何物にも揺らぎません。

 

すべてを許すことができる立ち位置はそこだけです。
許すアプローチ方法はいろいろありますが、今日は普遍的な真実を基準にした側面から書いてみました。

 

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思考や感情もあなたではないと、さきほど書きました。
感情が動揺するのは、過去に原因があります。

 

思考も空間に無数に流れている電波のようなものを拾っているだけです。

 

長くなりましたので、これについてはまた改めて書きたいと思います。

 

最後に、セラピストでありパーソナルモチベーターの石井裕之さんの言葉を今日は書いておきたいと思います。
「だれかを理解できる人は理解される人よりも、絶対に大きい。」

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