許すこと

許すこと

 

あなたは誰か許せない人はいますか?

 

それは家族や他人ですか?
それとも自分自身でしょうか?

 

人だけでありません。
ものごとや出来事なども許せないことって色々ありますね。

 

絶対に許せない人やものごとがあると、自分の心が縛られとても苦しいものです。

 

 

そちらに意識を奪われて、仕事や家事も手につきません。

 

 

何かがどうしても許せない、そんな自分を責めてしまうあなたに向けて書きます。

 

 

 

 

【正しさ】はそれぞれ

 

 

許せないのは、自分が「これが正しい」と信じているものから外れた「人」や「できごと」に出会ったときです。

 

「それは違う、認められない。」となります。

 

正義感の強くまじめな人ほど「これは正しい、あれは間違っている」という判断の数が多いです。

 

なので許せない対象がたくさんあり、苦しみます。

 

「まあいっか」と、こだわらず流せる人は、許せないものは少ないでしょう。

 

私たちは子どもの頃から、大人からからたくさんの価値観・観念を植え付けられてきました。

 

これはこうで、あれはこう、そういう風に決まっていて、ゆえにそれは正しいのだと。

 

そこから外れると叱られたり否定されてきました。

 

しかしものごとに対する考え方や観念は、世界で統一されているわけではありません。

 

国や地域・家庭・人によってさまざまです。

 

たとえ同じ国でも時代をへると変わります。

 

同じ人でも時間がたつと変わります。

 

人を殺してもそれが正義だという時代もありましたし、海外にいくと信じられないような考え方に出会ったりもします。

 

一歩外に出ると自分の常識は通用しません・・。

 

 

無人島でひとり暮らしならいいですが、社会に出たらみんな考え方が違います。

 

これでは人とぶつかるのはしかたないですね。

 

ですから同じような観念・価値観の人どうしが自然と集まります。

 

 

俯瞰してみると、世の中に正しい・間違いはありません。

 

 

みんなが自分の信じる正しさがあります。

 

人は人、自分は自分と認められるなら楽なのですが・・。

 

しかし、相手が家族などの近い人になると、なかなか簡単には認められず許せません。

 

まわりを自分の思い通りにしたいという自我がでてくるからです。

 

 

 

魂は楽に自由になりたい、そのためには自分は「個人ではない」と思い出すことです

 

 

許せない気持ちは苦しいです。

 

自分は全然苦しくなんかないよと思っていても、魂は鉄のくさりで縛られたようにがんじがらめです。

 

きゅうくつでしんどいから、そのクサリ(固定観念・価値観)をほどくために、いろいろなできごとを魂は引き寄せます。

 

それは魂が「本当はもう許したい」と願っているからです。

 

魂は自由に楽になりたいのです。

 

AさんはBさんを絶対に許せない、と思っています。
Aさんの自我は「俺はBを絶対に許してやらない」と、上から目線で裁いているつもりです。

 

Aさんは、「自分はBよりも優れている」と思っています。
あいつは人間として間違っている、ダメだと思っています。

 

でも実際は、Aさんのキャパが小さいから許せないのです。

 

Bさんのすべての「情報」を処理できません。

 

もし大きかったら何でも受け入れられます。

 

だからといって、キャパの小さいAさんが「悪い」わけではありません。

 

Aさんは大きな誤解をしています。

 

それはAさんは、自分はこの体であり、考え方であり、信念である。

 

この思考・感情こそが自分自身なのだと誤解しています。

 

自我が自分だとすっかり信じています。

 

しかしそうではないのです・・。

 

Aさんは、じつは人間というキャラクターでも体でも自我でもありません。

 

【Aさん】という役柄を演じる、【大いなる意識】です。

 

Aさんはすっかり自分が何者なのかをわすれて、今日もキャパのちいさな人間になりきってしまっています。

 

そしてあれが許せない、これが許せないと言って苦しんでいます・・。

 

 

 

すべての人はちいさなキャラクターではなく、光であり、虚空(すべての作り手、元、素)です。

 

 

あなたはこの世でさまざまな体験を味わうために、体を授かりました。

 

光のひとしづくとして。

 

体がなかったら、風を感じたり、おいしいものを食べたり、美しいものをみることはできません。

 

生まれたとき、あなたは
「この世に誕生することができた!これからたくさんの喜びを体験していこう!」

 

と感謝と喜びでいっぱいでした。
(これが元の気=元気です。)

 

しかし生まれてすぐに「名前」を付けられ、お父さん役、妻役、娘役などを担当していくうちに、自分は○○という名前で、この体・性格・考え方が自分自身だと、かん違いしていくようになりました。

 

 

でもあなたは、もともと【一個人】ではありません。

 

自分が【一個人】だと信じていると、できることは限られてしまいます。

 

どうしても【有限】になります。

 

無限∞ではありません。

 

あなたが何かを許せないのは、意識がちいさな個人のままだからです。

 

ちいさいから相手を包むことができないのです。

 

 

どーんと大きくなって個人(自我)を出てください。

 

個人(自我)があるから、みんなが周りのひとに対して、自分の思い通りになってほしいとコントロールします。

 

しかしそこを飛び越えてしまえば、みんなが許せるし、だれともぶつからないのです。

 

(イメージで上の方に)ズームアウトして視野を広げて上から見てみてください。

 

俯瞰してみてみると、人やものごとが小さく見え、たいていのことは許せます。

 

自分も含めてみんな可愛いなと慈しむことができます。

 

あなたが意識を拡大したからです。

 

これが本来のあなた(神)の目線です。

 

 

 

自分は「個人ではない」と思い出すと、ほんとうの自信も取り戻せる

 

この目線に立つと、ようやく本物の自信が取り戻せます。

 

何ものにも揺らがなくなります。

 

その自信は「○○を持っているから」というような、条件付きの自信ではありません。

 

【すべてが自分だった】という大安心・大安定から来る、おだやかで静かな自信です。

 

 

あなたは動揺する側ではなく、動揺している感情(や思考)を観察する側です。

 

許す許さないと小競り合いに参加する側ではなく、それを上から観察する側です。

 

 

最後に、セラピストでありパーソナルモチベーターの石井裕之さんの言葉を引用させていただきます。。

 

 

「だれかを理解できる人は理解される人よりも、絶対に大きい。」

 

 

 

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