【自分の意見】は、いらない?

【自分の意見】は、いらない?

 

テレビの情報番組などでは、「コメンテーター」という人たちが、「ああでもないこうでもない」と論争を繰り広げているようです。

 

なにかのニュースに対して、専門的な知識をもった人が掘り下げた内容を中立的に補助的に説明。なら参考にもなります。

 

しかし、単に個人的意見と個人的意見を戦わせて、言い合いをしているだけの番組もあります。

 

国会中継でもそうですね。

 

そういう言い合い・戦いが、自我は好きなのです
アドレナリンがバンバンでて生きている感じがするのです。

 

しかし、解決にはなりません。

 

 

 

 

【親の意見】は要らない

 

 

ここでは、
【自分の意見】というのは自我の意見のことを言っています

 

自我は持論を展開し、相手と戦うのが大好きです。
そして自分の持論が勝つのを好みます。

 

たとえば子育てにおいて、子どもに対してなら大人は絶対勝つので、支配してしまいがちです。
勘違いして「上」に立ってしまいます。

 

日常でも、例えば子どもが何かを話しかけてきたとき、「それは、良い(良くない)ことだね、なぜなら○○だから」などと言ってしまいがちです。

 

「〜するべきでは?」とか
「世の中はこういうものだから」とか決めつけもしてしまいます。

 

また「自分の若いときはこうだった」
と過ぎ去った昔の話を基準に「だから今の○○はダメ」と若者や子供の行動を否定したりします。

 

それよりも子どもの話に、ただ耳を傾ける。

 

おとなが上から判断を下すのではなく、横の関係で共感すると子どもは心を開いてくれます。

 

子どもと親が論争したら、勝つのは親に決まっています。
ちいさな子どもは大人のことば・表現力に勝てるわけがなく、だから何も話せなくなり内側に引きこもるしかないのです。

 

ただ黙っておもしろくない(時には嵐のような)時間が通り過ぎるのをじっと待ちます。

 

子どもは今を生きていてただ、「こんなことがあったよ〜」「○○くんはこうなんだって」とか話しているだけです。

 

それを普通に「わあ、そうなんだね」「へえ、知らなかった」などと聞き手にまわってあげればいいのです

 

例えばもし自分が子どもの友達だったら、どんな反応をするだろう?

 

少なくとも、既存の価値観を持ち込んで「それはいけません。」とか「そうしなさい。」などは言わないと思います。

 

一緒に同じようなことを言って笑ったりしています。

 

上から目線ではなく、横に並んで聞き手にまわると、子どもは自分からどんどん話してくれます。
話しやすいフラットな関係です。

 

私たちが過去からずっと抱えてきた、ある意味きゅうくつな価値観や思考を手放し、まさに新しい時代を生きている子どもたちの話に耳を傾けると、思ってもみなかった新しい世界を教えてくれます。

 

子どもたちは、上から重い価値観で抑えつけられるから、せっかく新鮮でみずみずしい未来的発想を持っているのにそれを発揮する場・(居場所)がなくなり自分の殻に引きこもるのです。

 

子どもにとっておとなのコメント・意見・論評などは、退屈でしかも不要です。

 

子どもがのびのびと心から安心して楽しく家で過ごせるように、上から抑えつけない、指示しない。

 

意見を求められてもいないのに、ものごとの解説は必要ありません。

 

ゲームなどに対しても、論理的にダメな理由を並べる必要はない。

 

人生や生き方に対しても、牧師さんのように説教やうんちくを語る必要はない。

 

だいぶ前に子供会の行事で、お寺の和尚さんが子どもたちを前に、人生の生き方などの説法を説いてくださいましたが、子どもたちみんな寝ていました(笑)

 

校長先生のお話も同様ですね。
子どもたち、誰もきいていません。

 

 

コメントは要らない

 

 

おとな同士でも・・

 

誰かに自分の行動に対してコメントされても(異論を唱えられたりしても)それに対してコメントしたり言い返す必要さえない思います。

 

コメントにコメントで返すと、討論会になります。(それが好きならもちろん大いに楽しめばいいのですが)

 

でも論争になって苦しいなら「へえ、そういうふうにこの人は考えているんだ」くらいの気持ちで流せば楽です。

 

持論の展開が好きなひとと同じ土俵に立ってしまうと、終わりのない討論会になります。
そして長い時間をかけただけで根本的には解決しません。

 

時間の無駄で、しかも気持ちよくもない。

 

ですので、日常会話においては、ある意味「自分の意見」というのは必要ないことが多々あります。

 

もちろん、たとえば初対面などである程度どんな人なのかわかりあうために、話のなかで自分の意見が自然にでてくる会話は当然あります。

 

でも、ある程度分かりあえ、信頼できあったら、ふだんの日常において細かな意見は必要ないことが多いです。
私たちは小さなふだんのできごとで、他人と言い合いしすぎることがあります。

 

ものすごいエネルギーの無駄づかいです。

 

どうでもいいようなうわさ話やほんのちいさな出来事を論争しあうと、ほんとうにキリがなく、建設的でもありません。

 

ですのでたとえば家族などでは、【同居人♪】くらいの意識でいる方が楽でうまくいきます。

 

【同じ屋根の下に住む】ということは、最初から信頼しあっていないとできません。

 

その同意のもとで一緒に住んでいるのであれば、あとは相手を尊重して相手の領域にズカズカと入り込まないことが大事だと思います。

 

相手の思考や考えかた・好み・価値観に、ズカズカと入りこまない。
そんなことはどうでもいい(笑)
(ある意味)自分だけに集中していればいいと思います。

 

 

自我のおしゃべりは要らない

 

 

自分だけに集中すると言いますが

 

もっと言えば、自分の中の自我(の主張・おしゃべり)からも距離を取りたいです。

 

自分の中でも「ああだこうだ」と自我の思考が絶え間なくしゃべり続けています。
自分の中で意見や思考、主張・コメントがひっきりなしです。

 

社会や人との距離を(良い意味で)取って自分の時間を確保したとしても、自分のなかの自我がああだこうだと言っていたらあまり意味がありません。

 

あなたは自我ではないので、自我やいろいろな現象を創造した側ですので、自我のおしゃべり・コメントにとらわれることなくちゃんと浄化させてあげてください。

 

こころを静めて発揮するべきは「自分を含めたすべての発展繁栄のために尽くし続けること」これ一本です。

 

 

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