我の強い人との付き合い方
我の強い人との付き合い方に、あなたも不快に思ったり、悩んだりしたことがあるのではないでしょうか?
我の強い人とは、ポイントを押さえて付き合わないと何かとトラブルになりがちです。
しかし、どういった特徴があるのか理解し、付き合い方を心得ていけば、我の強い人というのは単純なので、意外にわかりやすく扱いやすいとも言えます。
ここでは、我の強い人の特徴や付き合い方を、魂の部分まで考察しながら述べていきます。
我の強い人とは?
1、自分が正しい
我の強い人には、自分の信じている正義があります。
自分の考え方、価値観こそは「世の中における正しい真実」だと思いこんでいます。正義感が強いとも言えます。
ですので自分の主張はカンタンには曲げられません。
なぜなら自分こそは間違いなく正しいと信じているからです。
これは長所にもなりえます。
良いふうに働けば、しっかりした筋を通し、ものごとをいい加減でなくきちんと丹念に遂行することができます。
2、自己中心的・自分中心
人の話(意見や気持ち)はあまり聞きません。自分の話が中心です。
人の話の最中でも、いつの間にか自分の話に持っていきます。
我の強い人は自分に自信がありません。実はとても傷つきやすいです。
ですのでそんな脆い自分を守るのにいつも精いっぱいなので、普段から人の気持ちまで考える余裕はありません。
人の気持ちに思いを馳せることがないので、いつまでたっても人の気持ちが分かりません。
結果、ますます自分中心になってしまいます。
自分が中心であり重要人物なのだと実感できることが気持ちの安定になります。
ですので今、相手がどう感じているか、どう考えているかなどはある意味どうでもいいというか、無視される傾向にあります。
そのため、優越感を持たせてとりあえず持ち上げてさえおけば、機嫌を損ねることにはならないという単純さがあります。
3、自慢が多く、自己アピールが強い、目立ちたがり
我の強い人は、まわりに自分の存在を認めさせることに注力します。自己顕示欲が強いです。
SNSなどで、自分をアピールすることは大好きです。自身の充実した生活を日ごろから自慢したり、何か大変なことがあったときはおおげさに近況を投稿したりすることで、人に心配してもらえるように自分に注目を集めようとします。
人の中心に立って目立つことも大好きです。
少しでも自己を大きく見せたいからです。
4、人のせい、環境のせいにする(言い訳をする)
我の強い人は、自分の非を認めたくありません。
内心、自分が間違っていたな・・と分かっていても、それを人前で認めると、自分そのものが損なわれたような気になってしまうのです。
ですので、自分から謝まることもほとんどありません。
人に頭を下げるわけにはいかないのです。
人より自分を下に置きたくないので、なんとか「人や環境のせいなのだ」という事にして、あくまでも自分は悪くない、外側のせいだと苦しい言い訳をすることになります。
自分はいかに正しいかということを誇示しなければならないので、自分の正当性を主張するのです。
自分の正当性に執拗にこだわるあまり、ときに話の展開につじつまが合わないこともあり、まともに聞いている方はいろいろと納得できなかったりします。
話の最後は、自分の主張で締めくくらないと気が済みません。
相手を論破して優越感に浸りたいのです。
しかし、長い話を聞かされたあと落ち着いて考えてみれば、「結局、(自分の非を認めて)謝りたくなかったんだね」とわかり、そんな姿が滑稽にうつることもあります。
5、人を支配する
場の中心でリーダーシップを取りたがります。
自分がその場を支配したいのです。
周りをコントロールして自分が優位に立ちたい。
ですのでなにかと自分の意見に周りを従わせようとします。
逆に人の意見に素直に従うことはできません。
それは自分の存在そのものを否定することと同意だからです。
これは、本当は自分が大したことないのだと思っていることの裏返しです。
なんとかして大きく見せなければ自分の存在価値を証明できないと思っているためです。
6、すぐ感情的になる
我の強い人にとって、感情のコントロールというのはむずかしいことです。
思っていることは口に出さないと気が済みません。
事あるごとに大きな声で怒鳴り散らし感情を表現します。
結果的に人を攻撃してしまう、高圧的な態度になることは日常茶飯事です。
グッと抑えて考える前に、まわりに当たり散らすのでトラブルも起こしやすいです。
しかし喜怒哀楽がはっきりしているので、何を考えているかわかりやすいとも言えます。
7、プライドが高い
自分が人から丁重にあつかわれているかどうかは、我の強い人にとって重要なことです。
例えば、公の場で自分の名前をまちがえて呼ばれたりすると、「恥をかかされた」と、激高したりします。
みんなの前で恥をかかされることは、我の強い人にとって、決して我慢ならないことです。耐えられないのです。
ですので、人からちゃんとした人だという評価を得るために、しきたりを守ったり世間体を保つことも、我の強い人にとっては大切なことです。
我の強い人は自分自身に真の誇りをもてず、メンタルが弱いので、いつも不安でしょうがないのです。
だから偽りのプライドで自分を必死に守ろうとします。
少しでも自分を否定するような人や出来事は、著しく我の強い人を傷つけてしまいます。
自分を否定されることが恐くて、過敏に反応してしまうのです。
まさにガラスのハートです。
不安と恐れをかかえて、心はとても敏感です。
我の強い人との付き合い方
1、まずできるだけ近づかない、物理的に距離をおく
わざわざ、こちらから近づく必要はありません。
あなたはどんな世界を選んでも自由です。
その人と付き合う世界をあえて選ばなくてもいいのです。
(もちろん選んでも、決してまちがいではありません。良い悪いはありませんし、価値の高い低いもありません。)
その人との言い合いゲームに、イヤなら無理に参加する必要はありません。
自我(我)というのは存在・存続するために、そのゲームに参加してくれる相手を求めます。
参加してもらい、ああでもないこうでもないと言い合い、戦って、たわむれることができれば相手は誰でもいいのです。
自分ひとりではこのゲームを続けられません。
相手が必要です。
ですから、自我(我)を存続させつづけるためなら、不特定多数のどんな人でもそのゲームに招き入れ、言ってみればそこで遊んでいるだけなのです。
とはいえ、あなたは嫌だな・・離れたいなと分かってはいても状況が許さず離れられないから、苦しいのではないでしょうか・・?
そこで、もしあなたが本当はもうイヤだけど、相手は家族や職場にいる人だからどうしても離れられない、とおっしゃるなら、たった今からそこを離れようと決意してみてください。
今ここで決めて、意識しつづけていくごとに(あなたの意識を強めるごとに)離れるという現実があらわれてきます。
あるいはあなたは、もしかすると「どんな人とも、逃げずにちゃんと付き合える強い自分にならなければ・・」と思ってはいませんか?
修行のように、一生懸命がまんして、耐えて、逃げずに現実と戦っていませんか?
もしそうであれば、そんな苦労はもう必要ないのだと、自分に言ってあげてください。
厳しい言い方をするなら、そういう苦労をあえて選んでいるのも、やはりあなた自身なのです。
人生に苦労する必要はないと、ここではっきり申し上げます。
もし今日が最後の日なら、あなたはどんな日にしたいでしょうか?
どこかなんとなく、我の強い人の心の寂しさが分かるからこそ、助けてあげたい、そばにいてあげたいと思う。
そんな優しいあなたの気持ちは分かりますが、それはその人の責任になります。
ボランティア精神で助けてあげることは、その人に乗り越える力がないのだと見下すことと同じことなのです。
我の強い人の心の脆さ、弱さ、悲しさを、遠くから癒されるようにいのり、本来の強さに目覚めることを願い、信じて見守ってあげるのも相手への貢献ではないでしょうか?
そばにいるだけが愛ではないかもしれません。
あなたが、我の強い人の世界に自ら参加することは、そのひとの苦しいゲームを応援してしまうことになります。
同時にあなたの人生にもそのゲームを持ち込むことになります。
どうしても尊敬できない人と時間を共にすることは、場合によっては共倒れになるのです。
ですので、あなたの送りたい人生・生活はどんなものなのか今一度振り返り、本当にその人と一緒の時間を過ごしたいのかどうかを考えてみてください。
一緒に過ごすのはもうやめよう!と思われるなら、その場を出るとまずは決意してください。
もうあなたは十分にその体験をしてきました。
これ以上一緒にいても喜びはないと判断されるなら、心の中で縁を切り、あたらしい世界を体験するのも悪くないかもしれません。
2、冷静になる、感情的にならない
我の強い人と接するときは、あなた自身の中心に集中してください。
相手はエネルギーが粗く強いので、カンタンに持っていかれます。
うかつにも乗ってしまい感情的になったら、それこそが相手の思うつぼです。
(あなたが相手と一戦を交えたいならそれはそれでひとつの面白い体験ですが・・)
相手は、あなたと興奮する感情ゲームがしたいのです。
巻き込まれないように心理的にも距離を保ち、あなたはあくまでも冷静に(イメージでは天井あたりから俯瞰するようにしてもいいと思います)眺めて観察していてください。
「なんかワアワアと言っているな・・」
くらいにながめて、心はほほえんでいてください。
一緒になってノリに乗ったり、感情が反応していくごとに、相手はますます面白くなりさらに挑発してきて、どんどんその場がヒートアップしてきます。
そして気づいたときには、あなたは相手と一緒にはまり込んでしまっています。
これは、相手の自我を助長させることにもなり、相手の真の幸せにはつながりません。
あなたももちろん傷つき、心が乱され、余計な苦労をすることになります。
3、エンパスの人は共感能力をOFFに
我の強い人に対してあえて共感しないでください。
これは普段から練習していないと、いきなりその時になってOFFにすることは難しいかもしれません。。
(先に述べたように、相手はエネルギーが強いのでカンタンに引き込まれます。)
これは、喜怒哀楽の【興奮した感情】を立ち上げないということです。
観察意識でいることです。
ある意味事務的というか、冷静に(冷たいということではなく)落ち着いて、感情から一歩引くのです。
その方が相手の感情や思考の動きがよく分かります。
すると的確に対処できるようになります。
4、真正面から否定しない
もし否定するときはやんわりと「もしかすると、こういう考え方もあるかもね・・」くらいで充分です。
(それでも大抵は、自分の意見をたたみかけてくるでしょう。)
あちらは基本、多くのことに対して否定的なので、こちらが相手を真正面から否定すると、【否定×否定】で、泥ぬまのケンカになります。
相手は何としても自分優位にもっていき、あなたを論破したいのです。
1言えば10返ってくるでしょう。
結果的に、たいていこちらに勝ち目はなく、後味の悪い、煮え切らない思いだけが残ります。
ですので、あなたがどれだけ真摯に、我の強い人と本音で話し合って何かを解決しようとしても、だいたいは不毛な結果に終わります。
相手は、長年の経験により話術にも長けていて、相手を打ち負かす妙な自信はありますので、あなたと堂々と一戦を交えたいのです。
そもそも戦闘好きなのです。
自我にとっては興奮するからやめられないのです。
ましてやこちらからあえて我の強い人を否定することは相手を逆上させ、とんでもない感情ドラマに引きずりこまれ、繊細なひとだとしばらく立ち直れないかもしれません。
ですのでこの点は注意してください。
我の強い人を否定すること=押してはいけないボタンを押すということです。
5、持ち上げすぎてもダメ
これも相手の自我が調子にのり相手のためにもなりません。
そのうえ、あなたがもし個人的に気に入られると、執着されて後々面倒になります。
場合によっては都合のよい奴だと利用されたりもします。
相手は、自分の楽しい泥沼興奮ゲームを盛り上げるためなら、あなたの迷惑などいっこうに考えません。
ここに巻き込まれるとロクなことになりません。
しかしこれは関わり方次第で、もしあなたが単に相手を表面的に持ち上げるのではなく、心の底から相手を寄り添い、理解を示し、歩み寄ることができれば、相手もバカではありませんので、あなたの思いは通じます。
そして相手の信頼を得て、我の強い人のふところに入ることが出来れば、なにがあってもあなたの味方になり、守ってくれるでしょう。
それは、相手の自我にとって「この人は、絶対に自分の味方なのだ」と確信したときです。
自我はどこまでいっても自我なのですが、自我なりの強い正義感をもっているということです。
6、一緒になって(同調して)盛り上がらない
その人のペースに乗らない。
そのハイテンションに巻き込まれないように、飲まれないように気を付けてください。
あなたの中心にしっかりと自分の意識を据えておかないと、その人のエネルギーにすり替えられ(乗っ取られ)ます。
結果、あなた自身がいつの間にか不本意な行動をしてしまって後悔するかもしれません。
たとえば、一緒になって人の悪口大会にえんえんと参加することになったり、おかしな自己アピールをすることに加担して後で恥をかくことにならないように気を付けたいものです。
7、できるだけ1対1にならない
複数の人を混ぜてみんなで一緒に接すると、いくらか楽です。
みんなのエネルギーを混ぜて中和できるので、あなた一人だけに、真正面からまともにエネルギーを食らうことが避けられます。
どうしても1対1になったときは、ほがらかな微笑をたたえて、内面ではとにかく冷静に自分を保ちます。
自分を見失わないようにしてください。
我を忘れて相手に入り込まないようするのは、お互いのためになります。
8、自慢・自己アピール・言い訳などは聞き流す
こういった話に全身でまともに付き合っていれば、身が持ちません。
「そうなんだね」と優しくおだやかに、聞き流してあげてください。
細かい部分はどうでもいいのです。
話が少しずれていても、筋が通っていなくても、我の強い人の話にツッコミどころはいくらでもあるものです。
そこ違うでしょ、と思っても、いちいち反応していたら話はエンドレスです。
とりあえず、微笑んでうなずいていれば、波風はたちません。
そうして相手の話というより、相手の存在そのものをごく普通に受け入れる、存在を肯定する感じで接します。
基本的には過度の共感も、否定もしない「ふーん、そうなんだ」くらいの、ニュートラルな感じで受け流していくと、
「反応の面白くないやつだ」と、あなたに特別な興味もなくなるでしょう。
しかし例えば、あなたが本当に「すごいな」と感じたり、相手に感謝できるなら、それは素直にあらわしてください。
相手も人間ですから、いつ何時も難しい人ではありません。
称賛や感謝の言葉は、我の強い人にとっては特に、心に響く大切な言葉です。
口先だけでは相手にそのうち見破られます。
しかしあなたが本心から素直にあらわした肯定や感謝、称賛の念は、かならず相手に刺さって心を動かし、このような我の強い人とも良い関係が築けます。
我の強さの奥にある、神性を見抜く
前項では、我の強い人の特徴や付き合い方をみてきました。
このページでは、もう少し掘り下げて対処法をみていきたいと思います。
1、我が強いとはどういうことか
今までの記事で「我の強い人」という表現を使ってきましたが、正確にいえば
【強い自我を作動させたままの人】という表現の方が的確でしょう。
自分の本性をすっかり忘れて、自我という機械的な反応が自分だと思いこんでしまっています。
コントロールされていると言ったほうがいいかもしれません。
その人自身が【我の強い人】ということではないのです。
自我というのは、私たちとは全くの別物です。
機械的なものであり、生命体ではありません。
たとえば、パソコンのこのキーを押せば○○といった反応をする、といったようなものです。
私たちはその反応を「ああ、こんな感じか」と観察し、それを体験する生きた意識であり、自我は私たちではない、単に出来事に反応してくれる機械のような自動的なシステムになります。
反応してくれなかったら、私たちの本質は無なので、空なので、具体的に何も感じることができません。
(無であり空なのですが、本質的にすべての可能性が折りたたまれて内在しています。よって、具体的に何も表面では体験していませんが、すべてを体験してしまっているとも言えます。この世ではそれを順番に、個人に分けて、少しずつ体験を分散し、ひとつひとつのシチュエーションを展開しています。すべての体験、場面を一度に見ることは出来ないからです。)
ですのでわたしたち自身がこの世を体験するためにつくったシステムを、自我と呼んでいるだけです。
自我のおかげで、今までいろいろな感情を味わうことができてきました。
こんなことをしたら痛いとか、こう言われたら嬉しいとか、こういう状態になったら至福だとか、さまざまな情報をこのシステムに入力しました。
そのおかげで、この世を体験できてきたのです。
しかしいつの間にか私たちはわれを忘れ、本性を忘れ、自我こそが、この反応こそが自分なのだと勘違いしてきたわけです。
本当は、ただ自我の反応はどんなものなのかを味わい、さまざまな感情を体験する意識の側だったのに・・。
ここを忘れてきたので、私たちは路頭に迷うことになりました。
生きる意味がわからない、この悩みをなくすにはどうしたらいいのか、などすべてが疑問になります。
観察する意識の側であれば、ゲーマーとして、すきなゲームを選択できます。
しかし我が強いと、自我(反応)だけに振り回されっぱなしですので、自分の人生をみずから選択することができなくなってしまいます。
本当なら人生の種類はバラエティに富み、どんな可能性も選択できます。
自我が強いという事は、自我の【反応】だけに人生を乗っ取られますので、ゲーマーとしてシチュエーション・状況をコントロールすることができません。
移り変わる景色に右往左往して、先も見えず、自らコントロールできない不安に押しつぶされそうになるのです。
だから自信もないのは当然で、それは自分の本質を見失い、確認できないから不安で自信がないのです。
もし、【我の強い人】が自分の本性を思い出し、自分の人生は自分で選べるのだ、コントロールできるのだと、その意識に立ち返ることさえできれば、その人は圧倒的な自信を取り戻し、心も安定します。
ですからすべての人にとって大切な急務は、自分の本当の正体を思い出すことです。
2、相手は自分が見なしたように変わる
ここで、もう一つの視点から申し上げると、自分の本性を思い出すということは、相手も同時に自分と同じ生命体だと当然ながら理解できます。
すべてのひとが、観察するひとつの意識ですので、我の強い人も同じです。
そこで、もしあなたが人間関係に悩んだりしたときは、その人の奥にある本質、観察意識(神性)に焦点を当ててみます。
なぜならそれが事実であるし、誰もが自我を通して感情を体験するゲーマーだからです。
相手を、【我の強い人=そういうキャラクター】だと見なすのをやめて、(もちろん自分自身に対しても)すべてのひとの中に神を見出してみてください。
相手を、そして自分を、○○なタイプの人、とか、○○である、と限定しないのです。
その限定の中にその人を閉じ込めてしまうからです。
これはとても不自由なことです。
その枠の中に閉じ込めることなので、それ以外の他の可能性をすべて閉じてしまうことになるのです。
【我の強い人】という見方、見なし方をすれば、相手はその枠を出ることはあなたの世界においてはできません。
あなたが見なした通りになるからです。
他のひとの世界では、他の人が見なしたとおりの人物になります。
そういう意味で、じつは人物さえも、あなた自身・私たちみな、自分が創っているのです。
目に見えるその人の状態にだまされないで、惑わされないでください。
目を閉じて、相手の本質を感じてみてください。
すべての人は神なのだと、みんなひとつのもの、ひとつの意識なのだと、どんな人でも必ず分かります。
そうすると、我の強い人もなんら恐くなくなり、あなたの不安や恐れも消えるはずです。