自分を犠牲にしない

自分を犠牲にしない

 

私たちは、毎日家族のため周りのために一生懸命に働いてきました。
休む間もなく、ちょっと休むのがまるでダメなことのように・・。
あなたももしかしたら、今もそうかもしれません。

 

がんばってがんばってノルマを果たした感はあるのだけど・・これってホントに私、幸せなのかな?
なんだか満たされない、私は昔そんな風に感じていました。

 

そんな思いを今日は書いていきたいと思います。
きつい言い方が含まれますが、自戒も込めて書かせていただきます。

 

(8分ほどで読めます。)

 

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あなたは今幸せですか?
友人も含め、家族や仕事の仲間みんなから大切にされていますか?
大切にされている実感は・・・ありますか?

 

もし「あの人にはどうも大切にされていない」と感じる人が思い当たるとしたら
それは、あなたがあなた自身を大切にしていないからです。

 

尊重されていないと感じるなら、あなた自身がご自分を尊重していないからです。

 

無意識かもしれませんが、あなた自身がご自分をないがしろにしています。
今までご自分の事は後回しで周りのお世話ばかりして、そんなこと振り返る暇もなかったかもしれません。

 

でもあなたが心から幸せであることは、まわりにとっても幸せであることなので、少し手を休められてご自身の内面に入ってみてください・・。

 

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あなたは、周りのため・・と思って一生懸命にやってこられました。
そのお気持ちは私自身がそうだったのでとてもよく分かります。

 

こんなことを書くのは正直恥ずかしいですが、遠い昔、当時付き合っていた人に尽くし過ぎて、生気がなくなるほど消耗しました。
当時は独りでいることが出来ず、誰かにそばにいて欲しかっただけだったのです。

 

誰かに自分を見つめて欲しくて始まったつきあいですので、私自身は特に相手を好きではなく、好きでもないのに付き合っていてごめんなさい・・という罪悪感で一杯で、罪滅ぼしのように尽くしまくりました。
今では信じられないほど不純な歪んだ、そして大変失礼なつきあいかたでした。

 

私は彼を完全に依存させ、私は彼のお母さん役みたいになりお互いを深く傷つけ、最後までお互いに幸せはありませんでした。

 

彼も自分優先で私の気持ちなんてどうでもよく、私も彼の本当の幸せに思いが及ばず、自分の寂しさを埋める道具としていたのです。
ですのでやはり「お互いさま」ということなのですが、大きな間違いだったと反省しました。

 

ここでお伝えしたいのは、私は結局自分を大切にしていなかったということです。
自分の本当の喜びのために生きていなかったのです。

 

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自分の一例を書きましたが、これは対象がパートナーや子ども、友人、あるいは仕事でも同じことです。

 

尽くすのには2通りパターンがあって、
@自分を認めて愛して守ってほしいから、その代わりに尽くし、働く。(=自分のため)
A自分も他人も大切に思っているからこそ、お互いもっと幸せになれるように喜んで精力的に尽くし、働く。(自分と相手、全体のため)

 

 

もちろん、人は必ずどちらかではなく、同じ人の中でも@Aは混在していることがほとんどかと思います。
@の人でもどこかで全体のことを考えてられる方もたくさんいらっしゃいますし
Aの人でもやはり人から愛され認めて欲しいという思いはあるでしょう。

 

ただ@の思いが先行していると、そこには真の笑顔や喜びはなく義務感のみで、Aには心からの笑顔やあふれる喜びが伴います。

 

人が、自分の喜びや幸せ感を差し置いてまで、苦しくなるほど誰かや何かのために尽くすのは、自分を認めて愛してほしいからです。
守ってほしいから、安心したいからです。
厳しい言い方をしますと、それは自分が生き残るための策でもあるでしょう。

 

自分が自分を心から愛して大切にしていないから、他者にその代わりを求めてしまいます。
自分一人では生きていけないからと、人生の舵を相手や何か(会社など)に明け渡してしまうのです。

 

これでは相手にないがしろにされても仕方がないのです。
命令されても文句が言えないのです。

 

人生や生活の行く末がどこに行こうと、相手や会社のせいではないのです。
なぜならあなたがその操縦席を他者に明け渡したのですから。

 

あなたは、あなたの人生の舵をご自身に取り戻すべきなのです。
これは何も、だから会社を辞めるとかパートナーと別れるとかそういった話では全くありません。

 

どんな状況でも自分の人生の主導権を自身が握ることはできます。
なにか苦手なことを得意な人にお願いして頼ったり、一人で頑張ろうと意地を張って無理をするのではなく、いい意味で甘えるのは、誰でも必要なことです。
堂々と真摯にお願いして、そしてありがとうと感謝することで信頼が生まれ、お互い助け合えるのだと思います。

 

ですがどんなことも相手のせいにしないことです。人生に他者のせい・・はありません。

 

まずは自分自身の喜びを最優先にすべきです。

 

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子どもに対しても「子供のために○○をしなくちゃ」とどうか無理をしないでください。
お母さんは(お父さんも)ついつい自分を後回しにしがちです。

 

子どもはあれこれ世話を焼かれるよりも、ある程度放っておいた方がたくましく育つ感じがしています。
もちろん、根底に愛があってですが。

 

あなたも子供さんがおられたら同意して頂けるかもしれませんが、子供は親が思うよりずっとたくましいです。
子どもは勝手に育つとよく言いますが、ある意味その通りだと思います。

 

例えば料理などでも無理に自分の好物ではなく相手の好みのものばかり作る人もおられるかもしれません。
それが自分の喜びであれば全然よいのですが、文句を言われるから仕方がなく・・というような理由であれば、そこにちゃんと自分と相手に対しての愛や敬意があるか確認してみてください。

 

何事もある程度の義務感は時には必要かもしれません。ですが決して無理をしないでほしいのです。
たまには外食でも、各自でやってもらっても、なんでもいいのではないでしょうか?

 

無理する人を見ていると、見ている方も(本人は自覚していなくても)傷つきます。その痛々しい波動が入ってくるのです。
(どんなことにも動じず中心を保てる人なら大丈夫ですが)たいていの場合、傷ついている人を見ているのは傷つきます。

 

疲れている人と一緒にいたらそのエネルギーが入ってくるので、自分も疲れてしまいます。
そしてお互いにイライラしたりして創造的ではありません。

 

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あなたがだいたいにおいて元気で、ご機嫌であることは、家族や周りの人の癒しになります。
もちろん、何でも人任せにして、何か自分は人より優れていると勘違いして偉そうにどーんと座っていたら、確実に周りの反感を買いますが。

 

あなたが本当は内面でSOSを発しているのに、平気なフリ(演技)をしてそれを表に出さずにいたら、相手もいつまでもあなたが苦しんでいることに気づかないかもしれません。それは相手のためにもならず、関係を壊します。

 

あなたは本当は気づいてほしいのに、助けてほしいのに、ちゃんと言わないと暗黙の了解では伝わらないのです。
我慢してやるのは、本当は自我です。(我の慢心と書きます。)

 

自分で全部できるという、どこか過剰なプライドはありませんか?
自分は完璧な人間でいなきゃという、強迫観念はありませんか?

 

あなたは完璧である必要はありません。
どんな人も、出来ないこと、不完全なこと、情けないこと、進めないことなどマイナスなことはたくさんあります。

 

そんなマイナスの部分をそのまんま見つめてあげてください。
その存在そのものを、その状態をそのまま祝ってあげてください。

 

あなたはそのマイナスではありません。
あなたはマイナスでもプラスでもなく、それを統合する「ゼロ意識」です。

 

私たちは今までずっと、プラスは認めてきたけれど、マイナスは決して認めようとはしませんでした。
でもプラスに偏りすぎると、極まってマイナスに転じてしまいます。マイナスの存在のおかげでプラスがあります。

 

月並みな言い方ですが大切なのはどんな自分も受け入れることです。

 

自分の「出来ない」とか「嫌い」とか「苦しい」とか、表現してはいけないと思ってきたもの(マイナス)を受け入れ、認められたとき、あなたは人に素直に助けを求めることができたりして人から助けてもらえます。

 

すると相手も喜びます。人は自分を必要としてくれると嬉しいですから。

 

そして、出来ないこと、嫌いなこと、不完全なことなど自体を認めると、自分だけでなくそんな要素を持っている他者に対しても許せるようになります。

 

その結果あなたは誰ともぶつからなくなり、真の安心が内側に戻ってきます。

 

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