いい人を演じてしまう本当の理由は、自分に対する罪悪感

いい人を演じてしまう本当の理由は、自分に対する罪悪感

 

社会生活を営む上で、ある程度いい人を演じたり、ていねいに愛想よく人に接することは、円滑な人間関係を築くうえで大切なことです。

 

お客様に対してときには愛想笑いも必要ですし、特に自分が好かれたい人に対しては猫を被ってしまうものですね。

 

誰にでもそんなところが多少はあると思います。

 

しかし、度が過ぎていつでもどこでもとにかくいい人でいなきゃ!と疲れる人もいます。

 

嫌われるのが恐い、みんなに好かれたい、自分に自信がないから・・など、理由はいろいろあるでしょう。
しかし、そういう思考回路になるおおもとの原因がひとつあります。

 

それは罪悪感です。

 

罪悪感については前回の記事の補足になり、しつこいようですが大切なことなので、今回は【いい人を演じる】という視点からお伝えします。

 

 

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いい人とはどんなイメージでしょうか?

 

・笑顔で愛想よい
・他人を(物も)尊重した、丁寧な対応
・他のすべてに優しい
・正義感があり、正しいと思われることをする

 

などでしょうか。

 

そういう振る舞いを
@人の前でだけ演技する(例、声が1オクターブ上がるお店の店員さんや、明らかにオンとオフで態度が豹変する人など)
Aそれがほぼ自然体で、人の前でなくてもそう振舞うひと(基本的に優しくいい人)

 

とあると思いますが、ここではAの方に向けてお話します。

 

いい人であろうとする心理は、
「これ以上罪を重ねたくない。」という心の底に横たわっている深い罪悪感から発しています。

 

 

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【いい人であろうとする心理や態度】

 

例:
・自分が少々我慢してでも人にサービスしたい。喜んでもらいたい。せめて表面的にだけでも、この場だけでも・・

 

・人をもう傷つけたくない。だれかを傷つけたらまたその罪悪感でまた苦しくなる。
良い人と思われたらきっと相手から愛され、少なくとも攻撃はされないはず・・?

 

・ものわかりのよい、何でも受け入れられる器の大きなひとと思われたい。
「理解ある人」になりたいと思いすぎて、相手のすべてを受け入れてしまう。

 

・ちゃんとしなきゃと思いすぎて極度に緊張し、失礼にならないようにと非常に丁寧な対応をしてしまう。
(よって第一印象は大抵良い。)

 

・ものに対しても丁寧で雑にあつかうことはない。よって買い物などで物を選ぶのも「無駄にしてはならない」と丁寧に選ぶので時間がかかったり、あるいは不用品をもったいないからと貯めこんだりする。

 

・一度大きく道を外した罪悪感があるので、もう二度と繰り返さないという思いがつよい。
ゆえに「こうであらなければ」という正義感が強く、適当にものごとを済ませられない。

 

・なんでも自分がしなきゃいけないと思う。人に上手に甘えられない、頼るのが下手。自分が楽をして人に迷惑をかけるのは許せない。

 

・自虐的態度や言動で笑いを取ったりする。

 

・小さな失敗でも過度に反省して自分はダメだと極度に落ち込む。

 

・すぐ謝る。

 

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などいろいろあると思います。

 

 

共通するのは、【道を外すのが恐い】ということです。

 

正しくありたい、という強い正義感です。
正しくなくちゃ!という強迫観念です。
たとえ自分が泥をかぶっても、自己犠牲であったとしても・・。

 

これ以上自分で自分を責めるような行動をしたくないのです。
そうでなくても、いままで充分に自分を裁いて許してこなかったので、もうこれ以上は自分を否定してしまうような行動には出たくない。
これ以上罪を重ねるのではなく、「正しい人」として正しいことをしていきたい。

 

だから自分が「こんな風であればOK」と認定した正しさをなぞってしまいます・・。

 

 

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しかし、ポジティブ(良いことや正しさなど)だけ、理想だけを追いかけ続けるのは危険です。
ポジティブとネガティブは言わば一心同体、2つでセットです。

 

 

例えば、もし、無農薬オーガニック食品だけを称賛し、それ以外をダメと否定するなら、その人は世界中のオーガニックでないものやそれを食べている人全員を敵にまわすのです。

 

誰とでも仲良くするのがいいからと受け入れていれば、当然危険な目にあうでしょう。

 

相手を理解し優しくすることが正しいからと何でも受け入れていれば、その人に乗っ取られ自分は不在になり、都合のいいように利用されます。

 

丁寧すぎると相手にうざいと思われ、逆に嫌われるか敬遠されるでしょう。

 

丁寧すぎると仕事も遅くなり、何事も成し遂げられません。

 

勿体ないからと物を大切にしようとし過ぎると何も捨てられず、物質的にも精神的にも現状維持になりがちで進歩できません。

 

何でも自分で責任をもってやろうとすると、それは人を悲しませるかもしれません。
頼られるというのは信じてもらっている感じがして人は嬉しいものです。独りで抱え込むとろくなことになりません。

 

人を責めてはいけないからと自分を犠牲にした自虐は、正直あまり気持ちのよいものではありません。

 

 

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ここでのポイントは、理想的すぎてキレイすぎるのはダメということではありません。
なんでも程々がいいとか、そういう話ではないのです。

 

ポジティブだけに重きを置かず、ネガティブ(闇)を認めるということです。

 

つまり、ダメなこと、最低なこと、嫌な感情や嫌な性格など、あなたの中のすべての闇の部分です。
過去の最悪だった自分も認め愛するということです。

 

ネガティブな部分にいくら蓋をして、表面的にいい人を演じたとしても、やはり人には分かるものです。
いい人を演じれば演じるほど、不自然になり、不自然な現実を創ってしまいます。

 

本当に他者のために尽くしておられる方と、そうでない方はやはり違います。

 

自分への罪悪感を軽くするために自己犠牲で人に尽くしていると現実はうまくいきませんが
自分への愛と敬意を持ち合わせた上での全体への貢献はすべてうまく事が運びます。

 

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罪悪感を深く抱えていると、自分を罰し続けることになります。
なんでも自分が犠牲になろうとします。

 

自分を罰するのは、人を罰していることと同義なので(全部繋がっているので)、表面的にどんなきれいな言葉使いをしたり、正しいと思われる行動やボランティアなどしていても、周りはなぜか気持ちよくなかったりするものです。

 

自分を罰するために、つまり【自己犠牲精神】から相手に尽くしても、尽くされる方はなぜかイライラします。
そして次第にその人を利用するようになります。

 

それは、その人が自分に対する罪悪感からそれを覆い隠すためのキレイさであったり、これ以上自分を責めたくないため・ステキな人であろうと自分を肯定するための奉仕であり、本当に相手のことを愛してのことではないからです。

 

結局は自分のためだからです。

 

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自分をまるごと許し、誰に愛されなくても自分だけは愛することは、ものすごく(たぶん一番)大切なことです。

 

自分を否定するのは、自分はダメだと言っているのと同じことです。
つまり自己否定です。

 

自己否定は他者否定と同じです。

 

自分を肯定できれば、そんなにいい人を演じる必要はそもそもありません。
自分はダメだと思っているから自信を失い、せめて人には好かれようと、より外側をつくろい、見せかけだけでも良い人であろうとしてしまいます。

 

でも自分で自分を愛することができれば、人に愛してもらうことを過度に求める必要はありません。

 

たとえ、世界中の誰も振り向いてくれなくても、自分が自分を愛することができたら、こんなに強いものはないのです。

 

そして、そういうひとは、周りから認められ愛されます。
なぜなら、あなたがあなたを認め、愛しているからです。

 

繋がっているからです。

 

もしもあなたが人に愛してもらうために、自分を犠牲にしていたとしたら、今後はもうその必要はありません。
そしてそんな過去の自分を許してあげてください。

 

大丈夫です。
あなたは、あなたのからだを、そしてあなたの魂の闇の部分も含め全部を愛することが絶対にできますから。

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