先回り

先回り

 

 

先回りせず、子どもの失敗を見守る

 

子育てにおいて、親が先回りしないことが大切だと、改めて分かりました。

 

わたしたち親は、かわいい我が子に痛い思い・苦しい思いをしてほしくないものです。
だからこそ親は子どもにできるだけ痛い思いを味わせないように、ずっと幸せで生きていってほしいからこそ、あれこれ言ってしまいます。

 

でも子どもにあえて失敗させることは大事です。

 

びっくりするような例ですが、アフリカのどこかの部族では2歳児がナイフを持っていても放っておくそうです。
私はさすがにそれはできませんが、考え方は学ぶところがあります。

 

私の場合は子どもが料理しようとすると、手を切らないように、やけどをしないようにと守りすぎていたと思います。
たいせつな可愛い子どもが血を流すのは見たくないし、自分の心が痛むからです。

 

少々過保護だったと思います。

 

でも振り返ってみると、子どものせっかくの失敗の経験を、私が奪っていたのだと思います。
先回りして失敗しないように守ることは、逆に愛ではないと分かりました。

 

子どものためというより、自分の心が痛まないように・・だったのです。

 

それに「さあ、自分でやろう!」と思っているのに先に「こうだよ、ああだよ」と聞いてもいないのに横から言われたら子どもにしたら鬱陶しいかもしれませんね・・(泣)

 

私たちは子どもの安全を守るために、子どもの将来のために・・とあれやこれやと気をもんで疲労困ぱいするのが常ですが、もっともっと子どものことを信頼していれば、逆に自分たちがかもしれません。

 

子どもは、大人が思うほど未熟でもおバカでもありません。
むしろ大人よりかなり分かっています。
しかも親に対する愛が深いように思います。

 

子どもの成長を信頼すること、失敗するのはだれでも当たり前なので先回りせずに見守ること、とても大事だと思います。

 

ちいさな子どものうちに失敗する経験は宝物です。

 

おとなになってから失敗すると、立ち直るのに時間がかかることが多いですから。

 

 

学校教育も先回りしている

 

うちの子どもは学校へは行かず、毎日ゲームやYouTubeの日々です。

 

はじめは私もゲームしかしない息子を見ているのが不安で、時間の制限をかけたり「〇〇したらね」などと条件を設けたりしました。

 

引きこもりになるんじゃないか・・とか目が悪くなるのでは?体が弱くなるのでは?と心配で、良かれを思う事を子どもに押し付けていました。

 

しかし、最近ではもう手放しで息子を信頼することに決めました。

 

学校教育を重視するのは、子どもに対して先に知識だけを入れておきたいという意図があると思います。

 

将来必ず必要であろう知識を先に教えこんでおこう、とりあえず詰め込んでおけばこれから先は安心・・、という先回りです。

 

将来困らないようにあらかじめ知識を入れておくのは一見理にかなっているようですが、それでも知識は後だと私は思います。

 

確かに学校で習う事、文字の読み書きや計算、最低限の知識は必要なものです。
それなしでは生きていけませんね。

 

でも先に知識だけ入れて安心しようとしないことです。

 

人はみんな実地から(現場から)学びます。

 

車の運転や水泳でも、知識だけ入れても何の役にも立たないのとおなじです。
知識は上手にしあわせに生きていくうえでのあくまでも補助的なものであり、それ自体が目的ではありません。

 

ずっとお世話になっているデモクラティックスクールの子どもが、18歳で卒業後に歌手?(アーティスト)になったとき、「ファンの女の子にサインを書くときに漢字が書けないのは恥ずかしい」という理由で、自分から漢字を学び始めたそうです。

 

そして、同じスクールの子ども(公教育の学校に途中まで通った子ども)に漢字ができないことをバカにされた時、彼はこう言ったそうです。

 

「俺の今までの人生では、漢字は必要なかっただけだ。」

 

・・と。

 

知識は後からついてきます。

 

それよりも大事なのは経験です。
失敗も成功も関係なく、経験を重ねることです。

 

経験がすべてであり、生(なま)の経験から、その子は教科書通りではないその子なりの解釈を通して、自分だけの学びを得ます。

 

それは実体験なので、その子だけのオリジナルな真実です。
これがその子の自信に繋がります。

 

単なる他の人のマネではない、自分で考え導き出した、自分にしかできない、自分にしか歩めない道を歩みます。

 

 

 

子どもの強さ、勇ましさ、賢さを信頼する

 

子どもを未熟な存在として見ないことです。
小さいし、知識もないし、危なげで放っておけない気持ちはよく分かります。

 

でも、ひとつの、勇ましいたましいとして観たいです。
人も物も、自分がみなした通りになるからです。

 

【子どもは頼りない存在だ】としてみるのではなく、信頼する。

 

信頼を辞書でひくと

【ある人や物を高く評価して、すべてを任せられるという気持ちを抱くこと、当てにすること】

 

だそうです。

 

子どもを、何もまだ分かっていない存在として低く下に見るのをやめて、体は小さいけれども、知識もない、まだ経験もない(今世においては)のだけれども、この子の人生はこの子が切り開く、この子の人生のすべてはこの子に任せられると信じることが、子どもに対しての信頼だと思います。

 

親が子どもが転ばないように、あれやこれやと子どもの先回りして、アドバイスや知識を与えて失敗させないように計らうことは、結局はその子のためになりません。

 

それは、助けてあげないとやっていけない弱い存在として見なすからこその行動です。

 

だからその通りに、(みなした通りに)子どもは弱々しい大人になってしまいます・・。

 

 

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