お風呂が嫌いなこども、それはそれでいいかもしれない

お風呂が嫌いなこども、それはそれでいいかもしれない

 

 

家族や職場に身近にいる不潔で不衛生なひと・・。
あなたのまわりにももしかしてそういう人はいますか?

 

現実的な対策はいろいろとあると思うのですが、ここではまた別の視点から考えてみたいと思います。

 

 

【お風呂が嫌いなこども】

 

じつはうちの小学生の息子がお風呂嫌いで、わたしはほとほと困り果てている今日この頃です。

 

外から帰って手も洗わないし歯磨きもイヤイヤ・・
学校から帰ったあとは特に、どこで何をして汚れているかわからないし、汗もかいているので私(の好み)としてはどうしてもお風呂にはいって清潔にしてほしいのです。

 

こんなことはよくあることかもしれませんが、本当に困っていたので、ネットでいろいろ調べました。
さまざまな対策法が書かれてあり大変参考になりました。

 

改善するための現実的な対策はたいせつなことです。

 

手洗いや歯磨き、お風呂がめんどうなうちの息子の場合は、疲れやゲームをする時間がへることが嫌いな原因のようですので、少しでも実行しやすいように固形石鹸ではなく手軽な泡タイプのボディソープを用意するとか、もっとちいさな子どもでしたらお風呂におもちゃを入れて楽しませるとかいろいろな方法があるでしょう。

 

 

世の中にはお風呂嫌いを克服する工夫のしかたはたくさんありますので、それは参考にさせてもらいつつ、そのうえで、もっと根源的な深いところから解決にむけてアプローチしていけたら、二度とその種の問題には遭遇しなくなります。

 

あるいは遭遇してもそれに対して苦しむことがなくなり、スッと流れていきます。

 

【不潔という状態をいったん受け入れる】

 

抵抗する息子に、毎日毎日おなじことを言わなければいけない繰り返しに、「ほんとになぜだろう?」とあらためて自分に問いかけました。

 

すぐに答えが返ってきました。

 

「不潔・不浄を祝っていない。」

 

納得しました。

 

いままで、身のまわりの様々なネガティブな現象にたいして、内面から浄化することで自分自身や現実面を変えることができました。

 

ネガティブな部分、負の部分、闇の部分をみつめ、認めて、なお祝福し、そのエネルギーを天に還しリサイクルできるように浄化してきました。

 

 

しかし【不潔さ】ということに対しては、それをまだ認めることができていませんでした。

 

自分自身や近くの人が不潔なのはどうしてもイヤでしたし、清潔・清浄でないということそのものに対してどこか恐かったのです。

 

わたしは特に潔癖症ではないのですが、不潔なこと自体を認められず、その状態を完全否定していることに気が付きました。

 

 

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【不潔】を調べてみると、言い換えとして【不浄】【不純】などと出てきます。

 

いずれもけがれていることで、心について使う場合は道徳的でない、などの意味のようです。

 

わたしは、宇宙の森羅万象すべてを愛し慈しまなければならないと決心し公言しておきながら、きれいなものや事、純粋なものや人、美しい状態などばかりに価値を置き、そうでないものを無意識に排除しようとしていました。

 

すべてを愛する、と口先でいうのは簡単なことです。
でも「不潔なことを愛する」と言ったら、果たして実際、愛しているか?
そう考えると、自分はできていませんでした。

 

こうして具体的に落とし込むと見えていなかったものが具体的に浮き上がって見えてきます。

 

そこを認め受け入れているかどうかがわかります。

 

ひとつひとつ丁寧に観ていくと、見落としていた部分に気が付けます。

 

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美しさ、きれいさ、清潔、清浄、けがれなきことは、
相対する、醜さ、不浄、不潔、不純、などがあるからこそ、その存在を際出たせることができます。

 

 

たとえば、不潔・不浄・不純という状態を、【ばいきんまん】のようにイメージしてもいいかもしれません。

 

(【ばいきんまん】は、世界中をばいきんだらけするためにバイキン星からいのちの星アンパンマンワールドにやってきたのだそうです。)

 

ばいきんまんは、いつもイタズラや悪だくみをくりかえします。

 

しかしアンパンマンは、ばいきんまんがいるからこそ、光の立場でいられます。
影のばいきんまんによって支えられているのです。

 

アンパンマンが主役として輝けるように、ネガティブという負の部分、闇を一手に引き受けています。

 

負ですから、いつもアンパンマンにはギリギリのところで負けてしまいます。

 

影というのは、光の裏側から見えないながらも光をサポートしてくれています。

 

だから本当は感謝しかないのです。
そう考えると、その存在自体に敬意が湧いてきます。

 

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負の側面をエネルギー場で(気持ちの上で)感謝して受け入れると、それは昇華されます。

 

「昇華」というのは、科学的にいうと【固体が液体の状態にならず気体になること】なのだそうです。

 

それと同じで、まさにさっきまで実在していた目に見える現象(確固たるもの)が、気(光)に変わるのです。

 

光に変わると、次はまたあたらしい何かに生まれ変わることができます。

 

これが、昇華であり、浄化するということです。

 

 

どんな現象でもそうですが、何か出来事や人やものを否定したとたん、それ以上の繁栄は起きません。そこで滞りストップします。

 

私が、息子の行動にたいして、否定・ダメ出しを長い間してきた結果、このように本来スッとながれるはずだった事態を、ここまでこじらせてしまったわけです。

 

というわけで、息子は私に「不潔・不浄」を許すように・・と行動を通して教えてくれていますので、ここはちゃんと受け入れたいと思っています。

 

外側を変えようと、他者を変えようと試みることはいままで散々やってきましたが、一向に変わりませんでしたので、外側をコントロールするのではなく、たった今から内面に取り組もうと思います。

 

 

どうなるかは、また近々報告させていただきたいと思います。

 

 

 

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