人の目を気にしなくてもいい

人の目を気にしなくてもいい

 

 

不登校の子は目立つ、でも・・

 

不登校の子どもは、年々増えてきています。
とはいえ、まだ全体から見れば少数派で、目立つこともあるでしょう。

 

うちの子どもは最近、学校に行かずに家でゴロゴロしていることもあります。

 

先生から毎日電話がかかってくるし、田舎特有の近所の目もあるし、家族の批判もある。

 

学校に行かないなんて、小学生では学年にひとりくらいだそうですから、珍しさもありどうしても目立ちます。

 

ときどき二時間目の途中から入ったりすると、親が送り迎えしなくてはいけないので近所の人からジロジロ見られたりもします。

 

デモクラティックスクールに行っている子どもを育てている友人からの話では、

 

「○○ちゃんも、なんとか普通の学校に行けるといいのにねえ」と、憐みの目で近所の人に言われたそうです。
(障害をもった子どもだと思われていたようです。)

 

うちの子どもも、近所の人に「今までちゃんと登校できていたのにねえ・・」と言われました。

 

(“ちゃんと”って何?と思いましたが(笑))

 

 

あなたは、そして子どもさんがどうありたいか?

 

そんな中で、ふと思います。
もう人になんて思われてもいいや・・と。

 

どうせ、というか所詮この世はまぼろし。
そんなバーチャルに目を向けるのではなく、どこまでも内側の神性に焦点を当てたい。

 

この世に冒険に来ている、魂の旅に来ていると思えばいいと思います。
実際私たちのHomeは、向こうの世界です。

 

ですので、もしあなたが子どもが不登校で恥ずかしい思いをしている、と思われていたとしても
【旅の恥は?き捨て】くらいに思っておいた方が楽かもしれません。
恥では決してありませんが

 

 

人の意見は千差万別で、いちいちそれに振り回され右往左往していると、本当に身が持ちません。
エネルギーが全部枯れてしまう。

 

だから誰ともかかわりたくなくなるし、子どももますます内側に籠ってしまう。
もう人になんて言われようと、否定されようと、そこと戦うのはもうやめようと思います。

 

ものすごいエネルギーの無駄使いになりますから。

 

誰とももう言い争いをしたくないし、かかわりたくない。
ここまでくると、プチ鬱ですね(笑)

 

自分のこうでありたい、でいいと思います。

 

人の意見はさまざま。
ひとつひとつの行動に、みんながああだこうだとコメントする。

 

いちいち評価もいらないし、余計なお世話。
もう放っておいてほしい。

 

・・と思っています。

 

既存の価値観にとらわれず、あなたが、子どもさんがどうありたいか?が一番大切です。

 

まわりの人の自我の批判の目に負けないでください。

 

 

相手の自我の目線・コメントではなく、奥にある神性に焦点を当てる

 

 

それでも、思うことがあります。

 

どんな人も、モノも、状況も、本当は愛してくれている。

 

自我の口はああだこうだと、評価コメントする。
否定して自己の正当性をアピールする。

 

でもその人の本性、神性は、かならずどんな人も、状況も愛している。

 

その一番深い、目に見えないところを観たい。
観じていたいと思う。

 

どんな否定や批判をする人でも、そして自分を否定する自分自身でも
その一番奥の目は、愛に満ちています。

 

人に否定されるということは、自分自身が自己や他人を否定してきたからです。

 

これは、特定のひとだけではなく、全人類にあるものです。
全人類の共通の課題です。

 

相手の自我×自分の自我の戦いはいつまでも終わることはない。
相手の神の部分を見つづけ、自分の神の部分に焦点を当てる。

 

そこには争いはなく、調和だけがあるはずです。

 

だから、相手の自我の目を気にすることはないと思います。
どう思われるか?にはキリがない。

 

相手の、そして自分の神性を信じたいと思います。
そこだけを観たいと思います。

 

 

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