子どもも自由にのびのびと

不登校は天才をつくるかもしれない

今、不登校の子どもが増えてきているそうですね。
あなたのお子様はどうでしょうか?

 

うちの中学生の娘は今は学校に通っておらず、月に1度はデモクラティックスクール(子供の自主性を尊重し、あらかじめ決められたカリキュラムや時間割がない中で自分の興味のあることをする学校)に通っていますが、普段はどこにも出かけませんから昼まで寝ていますし昼夜逆転だったりもします。

 

学校に行かず引きこもっているわが子を見ているのは、親としてとてもつらいことかもしれません。
周りに後れをとり将来は大丈夫だろうかと心配になるお気持ちはとてもよく分かります。

 

今日はあなたに少しでも安心していただけるよう、学校に行かなくても大丈夫なんだということを書いていきたいと思います。
それでは5分ほど、お付き合いください。

 

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まず、子供が学校に行かないと心配になってしまうのは、周りの子どもは皆早起きして登校し集団のなかで人間関係にもまれながら勉強やスポーツと取り組んでいるのに、うちの子だけみんなから取り残されたような、社会人としての第1歩を最初から踏み外してしまっているのではないかというような不安があるのではないでしょうか。

 

確かに学校に行っていれば、規則正しい生活、集団行動、社会人になる前の基礎的な勉強、そして広いグラウンドでの活動などなど
できることはたくさんあるでしょう。

 

私自身も12年間学校生活を送っていましたし、うちの小学生の息子は今3年生ですので私は授業参観にも行きますしPTAの役員もしていますので、学校での活動はよく分かっているつもりです。

 

しかし私は今の日本の公共教育は、人の人生を縛り付ける側面があると思っています。

 

子どもは6歳になったら本人の意思とは関係なく小学校に通わされます。
毎日同じ時間に集団登校し、決まった時間割のなかで、みんなと同じ科目を勉強させられます。

 

興味のある科目で集中して勉強していたとしても時間になったらチャイムに切り上げられ、またみんなと同じ違う科目を勉強させられます。

 

テストなどは模範回答があらかじめ用意されていて、そこから少しでもずれていれば×がつけられます。
中学などは特に細かい校則もあり、それに沿わないものは正されます。

 

人間関係でも担任からクラス分け、席、班に至るまで自動的に決められており、気の合う友達とも離され、そのグループに沿って行動しなければなりません。

 

学校での生活には本人の興味や意思の入り込む隙間はありません。
興味の赴くまま、自由に行動することを許されてはいないのです。

 

なにか特定の科目やスポーツ、あるいは学校に関係ない分野に興味があっても、それを思う存分追求できる時間は下校してからということになります。(下校後も宿題や塾などありますが)
朝昼の一番活動的な時間を、すべて学校という義務教育に奪われているわけです。

 

「しかし学校での基礎的な勉強は誰にとっても必要でしょう。」普通はみんなそう思います。

 

確かに社会に出て必要なことを、子どものうちから学べるのは安心なことではあります。

 

こんなことも知ってる、あんなこともできるという事実は親子にとって大きな自信になります。
生活も規則正しく友達もできて、充実しているように見える子どもの姿をみるのは親も安心でしょう。

 

しかしその代償に大切なものも失っているかもしれないことにも注意を払わなければいけません。

 

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それは学校や先生に従ってばかりでは、自主的に物事を深く考えることのできない、人生の本質的なことを習得できる機会を奪われることになり兼ねない、自分自身で人生を開拓し決定することができない人間になってしまう可能性が大いにあるということです。

 

それは当然です。なぜなら学校は自分で決めなくても先生の決めたことに従ってさえいれば物事が進んでいくからです。

 

これはとても恐いことです。
いきなり社会に出たときに、これからの人生を自分自身で歩んで行こうとするときに、どうしたらよいのかわからない人間を量産することになりかねないのです。

 

どうしたらよいかわからないから、ほとんどの人はみんなと同じ方向にとりあえず進みます。(就職)
就職してからもどうしたらよいかわからないから上司の指示に従います。
昇進してもその上司に従い、結局国や社会という見えない大きな勢力に従うしかない人生を最後まで送ることになるのです。

 

・・・それで人は本当に満足できるのでしょうか?
私はもっと、人というのはそんな固定されたなにかに縛られるものではなく、もっと大きくて自由な可能性があると思うのです。

 

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知識に関しては、もし小学校中学校ほとんど通っていなくても、本人がだいぶ大きくなってからこの勉強は自分にとって必要だと本当にやる気になったときに集中して勉強すれば、6年も12年もかけなくてもほんの数か月や数週間といった短期間で身につけられるものです。

 

特に国語や算数といった生活に関係する科目は、ある程度大きくなってからのほうが習得が早いそうです。
なぜなら特に机の上で勉強しなかったとしても、今までの生活の中において(たとえばゲームや料理、物つくりやスポーツなどをする中で)どうしても自然に覚え使っているものですから、それがいったいどういうものかといった概念がおおよそ分かってしまっているからです。

 

そして、何が必要で何が必要ではないといった分析力や要領も生活のなかで心得ています。

 

ですから、何がなんだか右も左もわからない幼少の時に実践の伴わない知識だけを無理やり詰め込まれるより、よほど要領よく効率的に実践を得た上で習得することができます。
そのうえ、この分野の勉強は○○のため必要だと自分自身が判断し取り組もうと決めたわけですから、その集中力といったら半端ではありません。

 

よって、1度も学校に行ったことなく17歳でわり算も出来なかったのに、本人が一念発起して1年足らずの勉強で大学に進学した、というような子供を、私は何人も見てきています。(娘の通っているスクールの子やその関係者です。)

 

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学校というのは、勉強がよくできて先生や規則に従う素直で従順な子どもが良しとされます。
逆にはみ出したりいう事を聞かなくて反抗したりする子は評価されず、「問題のある子」としてみんなと同じ「型」にはめようと矯正されます。

 

運動会や体育祭などに行くと私はいつも、これじゃまるで戦争時代の軍隊と一緒じゃないかと思います。
右に倣え、列をはみだすな、動くなしゃべるな、黙って話を聞きなさいと。

 

多様化が叫ばれていますが教育に関しても、一律ではなく多様化に向けてもっと解放するべきです。
ひとつの型だけを推奨するべきではないと思います。

 

今子供たちが不登校になっているのは、自由に生きたい解放されたいという人として当然の欲求であり、むしろ魂として健全な証拠です。
学校に飼いならされ、反抗する気力もない方が逆に恐いのです。

 

教育において一番大切なことは、生きる力を育むことであり、知識などはあとからいくらでも身に着けられます。

 

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規則正しい生活などは人生においてとても役立つ方法ではあります。
しかし、その子の根本の強さ、精神力、生き生きと自主的に生きることができる生命力さえ潰さなければ、やりたいことができたときに
勝手に自分で早寝早起きするでしょう。

 

今は、とくに早起きしなければならない理由も用事もないから、昼まで寝ているだけですからまったく心配いりません。

 

ちなみに娘は毎日マンガを読んでいるので今までに何百冊か分かりませんが、その知識はすごいですし、教科書などを読むよりはるかに勉強になると思っています。

 

子どもの本来の生きる力を信じてあげてください。
学校で集団行動をしなくても、その子の世界を必ず見つけ、その中で人間関係を広げていき、ほかの誰ともちがうその子だけのオリジナルな人生を歩みます。

 

 

その子がちゃんと見つけます。自分の道を。

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